しあわせな時間ってキラキラと輝いてるよね
「楽しい
」「嬉しい
」「落ち着く
」「癒される
」っていう様々な感情が満ち溢れてくる
でも、しあわせな時間が明るく輝けば輝くほど、それを失う時の不幸の闇はどんどん深く暗いものになってしまう

そのうちそのしあわせを失うことへの恐怖心
が芽生えてしまう…ウチも例に違わずしあわせな時間の中に身を置きたいという気持ちはある。でも、その時間というのはしあわせな気分になると同時に、その時間が終わる時にその喪失感とも闘わなければいけないのだ

そう、しあわせな時間が明るければ明るいほど、それが手元に無い時の哀しさ
や淋しさ
はとてつもなく大きくなるんよ。時には「しあわせなんて知らない方がイイのかな?」って思うことすらある。だって日陰に居れば影は見えへんやん。それに、暗闇に居ればほんの小さな光でも見えるやん。人間は欲深い生き物やから、しあわせになってもそれが当たり前になってしまって「もっともっとしあわせになりたい」と思ってしまう。良いように捉えるとそれは向上心と言うのかもしれないが、度を超えてしまうと「欲深い」ということになってまうねん

ドラマなんかで「人生の中でしあわせの量と不幸の量は同じだ
」なんて言ってるものもあるけど、ウチはそう考えられない…。「ウチは不幸の方が多いはずや
なんでウチには嫌な事ばっか起こってイイ事は起こらんねん

」と思ってる。これってウチが贅沢になってるんやろか
欲深くなってるんやろか
自分本位になってるんやろか
ホンマは普通の生活が当たり前にできるだけで、しあわせなはずやのにな。頭ではわかってるねん…
ウチが愚かなんやろう
欲にまみれた嫌~な人間なんやろうと思うわ
きっとウチは日の当たる明るい場所に居てはいけない人間なんやろうな…あ~
何だか自分自身がヤダ



愚痴っぽい内容でスミマセンm(__)m
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