今年は咲き始めたと思ったら、急激な寒波がやってきて、桜の満開に”待った”がかかってしまった。

 

一時お預け状態になったけれど、その分楽しみにしている時間が長くて、今思えばそれも良かったな。

 

 

祝・満開!

 

遅くとも、時がくれば花は咲く。

 

人はどんなに開花が遅くなっても、楽しみに待っている。

 

満開のときには、”よくぞ咲いてくれた!”と、大喜び。

 

 

そうなんだ。

 

遅くなっても、咲くべきときに咲くのだ。

 

その桜に自分を重ねたとき、どんなに勇気を貰えることか。

 

 

 

 

いつもの散歩道。

 

満開の、立派な幹を持つソメイヨシノの隣に、まだ若い枝垂れ桜が、植わっている。

 

その姿は、細く、か弱い。

 

数本の支えで、倒れないように補強されている。

 

それを見て、先日投稿した”小石川植物園 梅の開花~桜の開花の間のとき”の枝垂れ梅を思い出した。

 

 

厳しい自然界で、絶えず生き延びようとするならば、弱いものは淘汰される。

 

弱いからといって、手を差し伸べてはくれない。

 

だが、人は違う。

 

人はそれを風情があるものとして、労り、愛でることができる。美しいとさえ思う。

 

弱いものに、目を向けることが出来るのだ。

 

そう考えると、人もまんざらでもないな、なーんて思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

そして今、この細く、か弱い枝垂れ桜は、精一杯の蕾をつけている。

 

この枝垂れ桜を見ていて、こんなことを教えてもらった。

 

”頼りなくても、今の自分で満開になればいい”