ホテルシレーヌの説明・紹介

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で事物の根柢に横たわる弁証法[#「弁証法」に傍点]も亦、ただノエシスの側に於てのみ、自覚に於てのみ、一概に云えば広義の意識[#「意識」に傍点]に於てのみ、成立するわけになる。――だが弁証法というものの意味[#「というものの意味」に傍点]が成立する場所と、弁証法そのもの[#「そのもの」に傍点]が存在する場所とは別だ。弁証法というものの意味[#「弁証法というものの意味」に傍点]の成立する場所は、世俗的な存在としての所謂歴史にはなくて、例えば神学的な(吾々は之を寧ろ形而上学的[#「形而上学的」に傍点]と形容すべきだ)始原的歴史(Urgeschichte)にあるかも知れない。併し弁証法自身[#「弁証法自身」に傍点]は所謂歴史[#「歴史」に傍点]自身の内に成立する。否、歴史の意味[#「意味」に傍点]は始原的歴史に於て成り立つだろう、併し歴史自身[#「歴史自身」に傍点]は歴史自身に於てしか成立しない。そういうことが歴史の、非形而上学的・唯物論的・な原理なのである。西田哲学は歴史を産み歴史を包む立場に立つことによって、この歴史的原理を否定する。吾々が之を現象学的と呼んだ所以である。この時弁証法が凡そどんな弁証法にならねばならぬかは想像に難くない。――だからこの頃、某新聞の宗教欄で、西田博士が牧師や僧侶の愚劣な相手をさせられていたのも、必ずしも博士自身に責がないのではない。