沼尻竜典オペラセレクション NISSAY OPERA 2018
モーツァルト作曲 歌劇「魔笛」(全2幕)(ドイツ語歌唱・日本語台詞・日本語字幕付)
【日時】
2018年10月6日(土) 開演 15:00 (開場 14:15)
【会場】
びわ湖ホール 大ホール (滋賀)
【スタッフ&キャスト】
指揮:沼尻竜典 (びわ湖ホール芸術監督)
演出・上演台本:佐藤美晴
合唱指揮:田中信昭
ドラマトゥルク:長島確
美術:池田ともゆき
照明:伊藤雅一(RYU)
衣裳:武田久美子
ヘアメイク:橘房図
映像:須藤崇規
舞台監督:幸泉浩司、井坂舞
ザラストロ:伊藤貴之
タミーノ:山本康寛※
弁者&僧侶Ⅰ:山下浩司
僧侶Ⅱ:清水徹太郎※
夜の女王:角田祐子
パミーナ:砂川涼子
侍女Ⅰ:田崎尚美
侍女Ⅱ:澤村翔子
侍女Ⅲ:金子美香
童子Ⅰ:盛田麻央
童子Ⅱ:守谷由香
童子Ⅲ:森季子※
パパゲーナ:今野沙知恵
パパゲーノ:青山貴
モノスタトス:小堀勇介
武士Ⅰ:二塚直紀※
武士Ⅱ:松森治※
※びわ湖ホール声楽アンサンブル・ソロ登録メンバー
合唱:C.ヴィレッジシンガーズ
管弦楽:日本センチュリー交響楽団
【プログラム】
モーツァルト:「魔笛」
びわ湖ホールにオペラを観に行った。
モーツァルトの「魔笛」である。
指揮は沼尻竜典、オーケストラは日本センチュリー交響楽団。
モーツァルトの「魔笛」で私の好きな録音は、
●アーノンクール指揮チューリヒ歌劇場管 1987年11月セッション盤(NML/Apple Music/CD)
●エストマン指揮ドロットニングホルム宮廷劇場管 1992年8月セッション盤(Apple Music/CD)
あたりである。
前者はしっとり、後者はあっさりしているという違いはあるけれど、ともに晩年のモーツァルトならではの澄み切った味わいをしっかりと出せているのが良い。
それに対してクイケン盤やアバド盤は、躍動感がありすぎて、モーツァルト中期の曲とあまり違いが感じられない。
また、上記アーノンクール盤とエストマン盤は、歌手が粒ぞろいなのも素晴らしい(クイケン盤やアバド盤はその点でも多少見劣りする)。
さて、今回の沼尻竜典の演奏は、上記の各盤とはまた違った演奏だった。
方向性としては、私が上記2盤に次いで好きな、
●クレンペラー指揮ブダペスト国立歌劇場管 1949年3月30日ブダペストライヴ盤(NML/Apple Music)
に近いところがあるように思う(といっても、これほど大時代的ではないけれど)。
クレンペラーと同様に、沼尻竜典は細部のフレーズにとりわけ細やかなニュアンスや情感を込めることをしない。
楽曲を、細部の表現によってではなく、もっと長いフレーズによって捉える。
また、各楽器の響きがべた塗りになってしまわないように、それぞれのパートをきわめてクリアに浮かび上がらせる。
そのことによって、楽曲の内部構造や響きの調和が、聴衆にも手に取るようにわかるのである。
こういった純音楽的なアプローチは、モーツァルト最晩年の細やかな情感表現に最適かと言われると、そうではないかもしれない。
しかし、モーツァルトが最後に到達した「天上の音楽」ともいうべき和声進行や対位法的書法を、美しい透明感をもって表現してくれるこのやり方は、これはこれで大変素晴らしいと私は思う。
弦も管もクリアで透明、濁ることがない(もしカンブルランが振ったならば、さらに透明になったかもしれないが)。
歌手たちもみな高水準であり、これといった穴はなかった。
ただ、上記アーノンクール盤やエストマン盤における、タミーノ役のブロホヴィッツやストレイト、パミーナ役のボニー、夜の女王役のグルベローヴァやスミ・ジョーのような、とりわけ傑出した人がいたかと言われると、そうではなかったけれど。
とはいえ、上述のようにこの2盤の歌手は特別に粒ぞろいで、特にバーバラ・ボニーとスミ・ジョーの歌声の美しさはこれ以上望むべくもないほどであり、比較するのは酷かもしれない。
歌手以上に、今回はオーケストラが素晴らしかった(沼尻竜典の腕によるところも大きいと思うけれど)。
弦も管も良かったが、「魔笛」ということで特にフルートが活躍する曲であり、フルート奏者の永江真由子の素晴らしさは、大フィルの田中玲奈ほどとまでは言わないにしても、肉薄するものだった。
タミーノが魔笛を吹くときのメロディや、最後の試練のシーンでのフルート・ソロの、繊細きわまる美しさがとりわけ忘れがたい。
最後に、演出について。
比較的スタンダードなものだったように思う。
大蛇の代わりに大人数の黒子が出てきたり、3人の童子がモーツァルト風の格好をしていたりと、少し工夫がみられたが、最後は普通に終わったので、これらの仕掛けが特に何かの伏線だったわけではなさそう。
最後に夜の女王が倒れた後、ザラストロが彼女を助けていたけれど、それはザラストロが「いい人」であることを示したかっただけで、深い意味はないのかもしれない。
台詞部分はドイツ語でなく日本語であり、聴衆を笑わせる小ネタが随所に差し込まれてあったので、「純粋にメルヘンを楽しんで」ということか。
強いメッセージ性を持った演出ではなさそうだけれど、私はそもそも演出にあまりこだわらないし、下手に前衛的な演出より良いと感じた。
(画像はこちらのページよりお借りしました)
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