今日は珍しく「夫への賛歌」を語りたい。

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私は地元から上京して通算3.5回引っ越ししている。

コンマ以下があるのは結婚後に二人暮しの新居を探していた時、不動産屋が「これは掘り出し物です!」と息巻いた物件があり、
実際書類上は新築で価値あるものだったので、ほぼそこに決めるつもりで内見しに行くと、
あにはからんや当時のアパートの斜め前に建築中のマンションだったからだ。
10歩先への引っ越しを1にカウントするのは少しはばかられるではないか(笑)

元々家具の少ない一人暮らしだったこともあり、近すぎて引っ越し屋にも頼めずに全て自分たちで荷物を運んだ。人生でトップ1、2を争う疲れっぷりとなった。

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思い出されるのはそれより昔、一人暮らし期に、所用で1〜2年前に住んでいた街を訪れた際のことだ。

街並みも馴染みだったパン屋も変わらず、故郷に帰ったような懐かしさと高揚を覚えた。
だが、いざ帰ろうとして私は自分が一日中の活動でとても疲れていることに気づいた。
同時にその時の「自宅」はその街から1時間以上移動しなければ辿り着けないことも。

ふとタイムパラドックスを起こしたような気分に陥った。

すぐそこの角を曲がり、二つめの街灯下に行けば私のささやかな寝ぐらがあった。その感覚と安心感だけは鮮明なのに、実際はもうそこに私の居場所はない。

街の風景はこれほどに目に優しいのに、ここはもう「私の街」ではない。
説明が難しいが、あの寄る辺なく見捨てられたような心地は忘れられない。

帰る道すがら、改めて自分が一人で東京で生きているのだということを噛み締めた。

そして多分「ホームシック」は「帰れる望み」があるからこそ生まれるものなのだろうと思った。

私の生まれ故郷は遠い。
離島などではないが、気軽に移動できる距離ではないと体感するくらいには遠い。
感覚的に故郷は「別の星」であり、帰るのであれば旅路と呼ぶべき道のりを覚悟せねばならない。寂しいと思うことすら馬鹿馬鹿しいと、どこかでハナから肝に銘じていた。

だから懐かしい街の経験は、私の東京における初のホームシックだった。帰れそうなのに帰れない。手が届きそうなのに届かない。その砂を噛む気持ちは想像以上に私を打ちのめした。

疲れた体を鼓舞して家に帰っても、馴染んだ家具と部屋があるとはいえ、誰も私を待っていない。それを虚しいと思ったのは本当にあれが初めてだった。

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今はかつての街を訪れてもそこまでの寂しさを覚えはしない。

現在の住まいに落ち着いてから15年以上という最長記録を更新して、以前の記憶が薄れているのが最も大きな要因だが、やはり帰れば家で夫に会えるというのが大きい。
誰か待っているという励みを思えば、たとえ帰るのに時間を要しても、あの時のような脱力は感じないと断言できる。

かつて職場から片道2時間かかる場所に家族の住む広いマイホームを買ったという同僚に、凄い決断だと敬意を表し、同時に狭くてもいいからもう少し近くにすれば良いのにと思ったものだが、
今やっとその決意の根本を理解できる。

待っていてくれると確信できる相手への道行きは、人の時間を短くする。
まさにタイムトラベルであり、これは詩的な意味だけでなく物理学上の「時の感覚」にも共通するはずだ。

私にはそれが夫で、それで充分だが、息子や娘が加わった日にはそれはもう感覚は1/2、1/3の短縮を生み出すだろう。

また「帰る」という行為の意味づけにも大きな役割を果たすと思われる。

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フルタイム&ブラックな共働きの頃はわからなかったが、鬱を経て職を離れ、生活に於いて自宅が大きな位置を占めるようになった今、夫と同居しているという事実は私を想像以上に強く支えている。

外出し、雑踏で疲れ果てた時、思うような行動が出来ずにしょげた時、夫がいなかったら帰宅はもっと苦渋に満ちたものだったろう。

例え一人暮らしであっても、己のセーフティーゾーンへの帰還は、心の安寧に意味を持つものであるが、
己を待つ誰かが、行ける距離にいてくれること、それが真に会いたい人であること。その要因が加わったことは、心弱くなった私にとって望外の幸運だ。

「何はともあれ家に帰ろう」

その言葉が支える強さに気づく瞬間、同時にあの懐かしい街で棒立ちになった昔の己の幻影を見る。

哀しい顔をして電車に揺られていた思い出に「もう大丈夫だからね」と小さく声をかける。

そうすることで、何故か今の自分もどこか少し、より救われる気がするのだ。