今日は、卵巣摘出手術をする母の入院日。
病院まで付き添いで行きました。
母の職場の人もお見舞いに来てくれました。
周りの友人や職場の人は、
私達家族よりも母を心配してくれて
母は本当に愛されている人なんだなぁと
感じました。
家にいるときより
楽しそうな母。
寂しくもあり
嬉しくもあり
複雑な気持ち。
病室を出るとき、
ものすごく寂しくなってきて
母の顔を見ると泣きそうでした。
昨日のADHDの記事を見て
母への思いがよみがえりました。
私は昔から人とずれている変わった自分を
感じていました。
たとえば
話の構成を考えるのがすごく苦手で
話しているうちに、伝えたいことがどんどん
分からなくなってしまう。
優先順位がわからなくなって混乱する。
周りの子がすんなり理解できる話が
理解できず、話についていけない。
まぁ、誰にでもある話かもしれないですヽ(゚◇゚ )ノ
ただ、ずっと人とのコミュニケーションが
思うようにいかず、違和感がありました。
なんで皆みたいに普通に話せないんだろうとか
みんなが理解できることができないんだろうとか
とっても悩みました。
私が友達とうまく行かないことで悲しい思いをした。
それももちろん心の傷として残っているかもしれません。
でも、それ以上に悲しかったのは
友達をうまく行かなかったとき
母親がなんとかしようと
私を怒ったり、
そんな私を見て悲しんでいることでした。
母だけではなく、父や弟からも
私が周りと違っている部分を
おかしいと怒られたり
私が話すことでいらいらされたり。
おかしいと言われる事は
とても悲しいし腹が立つけど
やっぱり私がおかしいんだから
なんとかしなきゃって思ってました。
でも、あまり変わらなかった。
私はずっと
「普通」に憧れてました。
「普通」になれれば、
両親を安心させられる。
私が「普通」であれば、
心配かけない。
私が「普通」になれたら、
両親を幸せにできる。
だから
私が会社を辞める=
集団生活ができない、
社会と馴染めない
=「普通」じゃない
という図式があって
すごく怖かった。
部活を辞めたときと
同じ感覚。
わたしは、
普通じゃなくていい。
そもそも
普通ってなんだって話だけど(笑)
「変わっている自分」と仲直りする時期が
来たんだなぁ、と思います。
普通のふりするの
やめにしよう。
そんな感じですヾ(@^▽^@)ノ