私はプロレスが大好きです。
今でこそ“プ女子”なんて言葉があるほど、人気は上がってきていますが、一昔前はプロレスが好きだというだけで変なやつというレッテルを貼られることがありました。
(プロレスに関係なく私が変人なだけかも知れませんが…)
プロレスというと避けて通れないのが“プロレスは八百長なのか”という問題ですね。

ズバリ言います。
プロレスは八百長です。
厳密には八百長という定義には当てはまらないですが、勝敗が予め決まっているということでは八百長といえるでしょう。
となると、“勝敗が分かってるのになぜ真剣に応援するのか!?”という事なのですが…

私のプロレスファン歴は20年以上です。
長い間プロレスを見続けて思ったのは、プロレスは浅くも深くも楽しめるということです。
“八百長なのに何故楽しめるのか?”
という問いかけに対して
“仮面ライダーや水戸黄門だって筋書きがあるのに、どうして楽しめるのか?というのと同じだよ”
と仰るプロレスファンがいます。
私もそんな一人なのですが、それだけではない楽しみ方をお伝えしたいと思います。

まずドロドロの人間模様。
昼ドラとは一味違う、レスラー同士の裏切りや結託。
怒りや復讐といった負の感情がぶつかり合う様は見ていると、ストレス社会の現代人のフラストレーションを背負ってリングに上がっているようにさえ感じます。

アクロバティックな動き。
まるでアクション映画を見ているような気分にさせてくれます。
リング上で繰り広げられる技の応酬は、ワイヤーアクションでもCGでもないのです。
リアルな超人を見せてくれます。

また人によっては贔屓の選手がチャンピオンになってほしい、または嫌いなあの選手をやっつけてほしい…という楽しみ方もあるかも知れませんね。
勝ち負けが決まっているとはいえ、それが公式サイトで公表されるわけではありませんし、見ている側からはどちらが勝つかは分からないのです。
贔屓の選手が勝てばやっぱり嬉しいし…長く見続けてるとなんとなーく予想も出来たりしますけど(笑)

八百長である=楽しめない
ではなく、
プロレスはどんな楽しみ方をしてもいい、自由なエンターテイメントだということを分かっていただけると嬉しいです。

そんな私も子供の頃は、訳もわからずタイガーマスクを応援してました。
まるでアニメから出てきたかのような超人的な動きが楽しみでした。
今は…そうですね
贔屓の選手の勝ち負けより“A選手とB選手が試合するとどんな風になるんだろう?”といったより成熟した(?)楽しみ方をしています。

一人でも多くの方がプロレスの魅力に触れることを切に願っています。
今日からファンになった方も
30年以上見続けた方も
同じように楽しめる、それがプロレスだと私は思っています。

今日は、朝から一人でとても焦ることがありました。

家で一人で居る時のことなのですが、自分の居た部屋の換気をしようと思い、窓を開けました。
窓を開けると、窓の周りにホコリが溜まっていたので、ホコリを取ろうと思い、網戸を動かしました。
すると、網戸が取れて、下に落ちてしまったのです。

私が開けた窓は、二階の窓なので、二階の窓から、網戸が一階まで落ちてしまいました。
お隣さんにもしも、家に当たってしまっていたらどうしようかとドキっとしたのですが、なんとか、何にも当たらずに、そのまま一階の地面に落ちたようでした。

急いで、網戸を取りに一階まで行き、さらにまた二階に上って、網戸を付け直すように必死で頑張りました。
網戸はなかなうまくはまらずに、隣の部屋に行って網戸がどの向きで付いているかを確認し、つけてみることにしました。

どうしても、溝にしっかりとはまらずに、うまく網戸が付けれずに、網戸をまた落としそうになり、冷や汗をかきました。

日差しがとても当たる位置の窓なので、汗だくになりながら、なんとか網戸を付けることができました。
今回は付けられましたが、また落ちてしまったら、次こそ網戸は壊れてしまいそうです。

もう、網戸を今回のように直すのは怖いので、今日落ちた網戸は、もう今後一切触らないように気をつけようと心に決めました。
これから、窓の換気をするときや、掃除をするときには、網戸に触れないようにしようと思います。

今回は、家族の誰もいなかったので、余計にドキッとしたのですが、家族がいたら一緒に網戸を付けれたので良かっただろうなと思います。
今住んでいる家は、築27年程なので、これからも住み続けることになります。

家族に、「もしも、また網戸が取れたらどうしよう」と話すと、「次に外れたら、もう網戸は付けないでおこう」ということになりました。

台風などが来て、網戸が取れてしまわないことを願いながら、大切にしていきたいと思いました。