72歳で3人の(2019年3月現在7歳6ヶ月、3歳、1歳)の子育て日記 -3ページ目

72歳で3人の(2019年3月現在7歳6ヶ月、3歳、1歳)の子育て日記

団塊世代の自分が、10万未満の年金、家なし(コンド購入)、貯金0に近い、スキルなし、妻離婚 ピーナと47歳の年齢差を乗り越えて 再婚して72歳で3人の子育てをしながら テニス三昧の生活 日記。

ツマジロクサヨトウという害虫が発見され対策がたてられないでいる。2016年アフリカで発生2672億円の損害。2018年インドで2019年ミンヤーマーや中国で猛威を振るいとうとう台湾や日本まで来たらしい。約1か月で繁殖し繰り返すので 瞬く間に増えるそうだ。イネ科の穀物を食べるのでトウモロコシなどが被害を受けるとの事。 太陽の活動がすくないため起きる不作や災害に加えて害虫や病気が多くなりそうなので

備えなければと思う。 金融恐慌も いつも太陽の不活発な時に起きているという事実もある。これは1年や2年でなく10年とか20年のスパンなので 今年は良いとしても来年のオリンピックの後は本当に危機を感じる。 それからG20会議の時に安倍首相がしたと思われるトランプとの密約も ぼちぼち発表になるころだ。多分 農業や保険、医療などの自由化だろう。これで日本はまたアメリカ資本に蹂躙されるだろう。 

それでも日本の良いところは 災害などが起きた時に 秩序が保たれ暴動などが起こらないところだ。 東北の震災やいろいろな時に証明されている。 これが外国なら 銃を持った人たちが 強盗をしたり無法地帯になりかねない。 マイノリティも襲われる可能性もある。外国と言えばアメリカ,ヨーロッパー、中東、もちろん中国、アジアの国,ロシア 考えてみれば日本を除いたすべての国は 道徳的にも制度的にも問題が多い。特に道徳的な問題は 治すのに100年はかかるので どうしようもないだろう。

自分はここバギオで 何とか生き延びる道を 探している。ここの今の市長やボランテア団体、上総部などとの交流も いつか何かのためになるだろう。

                  市長夫婦と

 

どれが起きても世界経済は 破綻しそうな感じ。其れでフィリピンで少しは想定が出来るかなと思い 知り合いの金持たちに 約10年前のリーマンショックの事を聞いてみた。 日本やニューヨークなどでは 株価が半分以下になり失業者が倍増した。 日本では総てがデフレ気味になり値段や賃金は上がらないか下がり気味になった。 フィリピンの彼らの答えは押しなべて たいして影響を受けなかったとのこと。 やはり資本主義が進んでいる先進国と後進国では まったく影響が違うのか? フィリピンで 金融クラッシュが起きても 大体の人は給料が2万円以下だし 工場などあまりなくて 外国などで働いてお金を得たり 誰か親類が働いていてぶる下がって生きている人が多いので 影響がないのかなーと 妙に感心しているこの頃です。

バギオは特に農業が盛んだし穀倉地帯と野菜栽培と漁業も2時間ほどの所で盛んだ。 

問題は金融クラッシュが起きた時年金が今まで道理 はらわれるかどうか? まだ3年ほど支払いがあるので 心配はそこだけだが 住処さえあれば 寒さ暑さのないここでは 楽に何とか生きていきそうだ。 出来れば 自分の家族が食べれる分だけの農地を借りることが出来れば  問題は より少なくなる。 住居的には狭いがセキュリティガードがいて 安全だし ここバギオに通じる道が5本ほどしかないので

ある意味本当に安全だ。 先の戦争の時なぜ 山下奉文司令官が ここに本部を設けたかよくわかる。 歴史的には約10年おき位でクラッシュ(金融恐慌)が起こっているのでもうそろそろ 起こりそうな気がする。 特に 最近は太陽の黒点の活動が弱まって天候不順や地震、台風が頻発するとの事。加えてアメリカでは天候不順のためトウモロコシや小麦の作ツケが悪くかなり不作になりそうだ。

日本でクラッシュが起こった場合には どのように守るかは 研究しつくしたので良いが 本体の資金が少ないので 無駄な勉強をしすぎたと後悔している。 もっと資金をためるほうに頑張ったほうが良かっただろうと。 また考えようによれば 金融クラッシュは 少ないお金を 倍々増にする機会かもしれない。

なにしろ沢山の友達がいて家族と楽しく暮らせれば 人生は最高だ。   下の2写真は世界恐慌の時のアメリカの子供今では良い暮らしだが90年前は フィリピンと同じ。

マレーの虎

6日太平洋戦争開戦を控えた1941年11月には第25軍司令官に親補。

第25軍は各地でイギリス軍撃破し快進撃を続けマレー半島(イギリス領マラヤ)を制圧。続くシンガポールの戦いの終結時に敵将イギリス軍司令官のアーサー・パーシバル陸軍中将に対して「イエスかノーか」と降伏を迫ったという逸話は一躍有名になったが、実際にはより落ち着いた紳士的な文言・口調の会話だったという(後述)。この巷に伝わる交渉時の山下の「イエスかノーか」の場面を表した蝋人形が、セントサ島にあるシンガポールの歴史に関する展示をしているImages of Singaporeの蝋人形館や、現在は博物館となっているシロソ砦に展示されている。

統治に際しては「バナナ・ノート」と呼ばれる軍票を発行したり、宝くじを発売するなどして財源確保に努めている。

敗戦後の1945年(昭和20年)9月1日、山下は第14方面軍司令官として山中からキアンガンの町に降りてきて降伏した。この持久戦の中の食糧難は第14方面軍司令部も例外ではなく、降伏時、巨漢で有名だった山下はすっかりやせ細ってしまっていた。山下大将が一時確保されていたキアンガンの小学校の校舎は資料館となっている。

9月3日、バギオのキャンプジョンヘイ敷地内にある現アメリカ大使館に移され、武藤章参謀長らとともに降伏調印式に臨んだ。

調印式の写真および絵画が現アメリカ大使館に飾られている。

バギオの近辺にはたくさんの日本人子孫がいて日本のロータリークラブなどの援助により毎年千人以上の日系人が奨学金を受けていたりアボンという施設で七夕や日本の行事を行っている。

残念なことに日本からきて住んでいる人は 数えるぐらいしかいない。

自分が日本人であることが 奇縁でバギオを過去5-7年前に3年間もボランティア活動して 道路を綺麗にしていた日本人の方が バギオを訪れて一緒に1日だけ ボランティアで歩道をクリーンアップしました。バギオの20人近い人も参加してくれました。 その後 バギオの現市長が

彼に功績をたたえて感謝の盾を 与えました。その式場に自分も参加して 市長夫婦と会話が出来ました。 その後話が バギオの中心にあるセッション道路の真ん中にある植j樹林を 盆栽風に切ったらと言う話になって 今 詳細を検討しています。

多分ボランティアになると思いますが バギオ市の顔にあたる目抜き道路なので 頑張ろうと思っています。

前から バギオに故郷浜松市の凧揚げ祭りを バギオのフラワーフェステバルの行事に 加えてもらおうとしていたので これを機会に出来るだけバギオと浜松市の懸け橋になろうと努力するつもりです。 

さらに バギオにある盆栽グループに何かするような話も出ていて なかなか面白そうです。  現実に 山の上にあるバギオは 日本と似ているところが多いです。  The Manor at Camp John Hay と言うバギオの多分ベストなホテルの レストランで食事したとき 目の前に出来ている庭が日本庭園とまるで同じ 植栽は気候の関係で違いはあるが こんもりした木のあたりから 滝が始まり 池に流れる有様は 自分がカナダにいるとき 造園業をしていたつくりとまるで同じで やや感動。 違いは 土地をふんだんに使い 石が中には1個 5トン以上もありそうなものをいくつも使っている まあ 日本や欧米では とてつもないお金が掛かりそうな作りだ。 このホテルの食事も 市長のサポーターである ある人のお誘いなので 初めて行ったのだが メニュウが日本などと変わらないぐらい自分にはお高い。 頼んだスペアリブも 870ペソ(1800円)と美味しいがお高い。 1週間ほど前に テニスで食事を賭け勝ったので茶屋という 日本レストランに行き食べた料金が4人で2700ペソ(6000円)だったので 自分にはとても行けないところに2回も行けたのは 本当に ラッキィ としか言えない。 まあ 貧乏暇ありなので こんなこともありです。

8組16人の女子トーナメント大会。なんと4回勝ち抜いて決勝進出、敗者復活戦で上がってきた 相手にも勝ち優勝。

結局賞金5000ペソをパートナーと獲得しました。 久しぶりのトーナメントでしたが 前の時は準優勝だったので 本当に嬉しかったようです。

約5年前 ラケットを握るのが初めてのジェンシィを 基本から教えてここまで成長したのを見て 本当に感激しました。 5年の間に2人の子供を産み3年近くブランクもありましたが 本当に教えがいが在りました. つい最近の自分とのシングル戦で 初めてジェンシィに負けたのでしたが

それがかなり自信になったみたいです。 自分は一応テニス歴も長いし女子に負けたことは ほとんどないので ジェンシィはかなり強いと思います。 今は働いているので 練習も週1程度ですので やはりかなり素質に恵まれていると思います。 特にバックハンドは上手く 下手にバックハンドに球を打つと ダウンザライン、フォアアングル、バックアングルと打ち分けてくるので なかなかです。 このトーナメントに参加した人達は 皆多分10年以上の経験をしているだろうと思われるので なかなかのものです。

1ベッドルーム4百万程度のコンドミニウムだが、まだ3年半ほど支払いが残っている。 家族5人で暮らしていて 狭さはひとしお感じるのだが 今回 ジェンシィが風邪を持ち込み 全員が被感してしまった。 やはり誰かが病気になったら 違う部屋が必要になることを 痛切に感じた。

バギオに暮らしていれば 普通の人なら摂氏15度から27度ぐらいの温度が一年中なので エアコン不要 暖房不要 野菜果物の産地なので

比較的安く新鮮な野菜果物が手に入るし 海も2時間ぐらいの所なので魚もあるし 肉も高くない。 着る物も あまり変える必要もないので

生活全体は 安上がりだ。 結局 住居さえあれば 問題なく暮らせる。 それで無理をして コンドを買ったのだが 年が歳なので支払いを 何とか早く終わらせようと思うこの頃。 カナダに行けば仕事はあるのだが 旅費が高すぎるので やはり日本にいくことになりそう。

日本では地方公務員、浜松市役所で 2年働いたために 月7千円の年金がもらえるのだが 大した助けにはならないだろう。 浜松に居た時テニスクラブに入会していたが かなりお金がかかった。 何より交通が不便だったのを思い出す。

さてどうするか? 子供もまるで日本人の顔だが まったく日本語ができない。 困ったものだ。 しかし お金のこともあるのだが バギオにてテニス練習場を作ってもコンタクトがなければならないので その面での用意は今から必要不可欠だと 思う。

 

 

もともとリタイアした後は年金でゆっくり好きなテニスや将棋や旅行をして暮らす予定だったのが 彼女が出来て子供が出来て まあ無計画な自分の一面が出て こうなってしまったわけだが 出来てしまってからには 何とかしなくてはならない 羽目に陥っている。 しかし悲しんだり嫌がっているわけではなく 子育ては本当に楽しく しているのだが流石に 時間がたっても 解決しない 金欠に 嫌気が指して来たのも 本当のことだ。 ジェンシィが働き始めてもここでは月1万{2万円}ペソにもならない。 でこのままでは温泉地の土地を買って日本向けのテニス場を作るなどは 夢のまた夢となってしまう危機感が出てきた。 それで 最近は家族をここに残して 日本かカナダに出稼ぎに出ようかという ようなことも考えるようになってきた。 しかし 働くにしても土台作りに時間がかかり 72歳と言う年齢からして難しいかも という懸念もある。

年金も離婚した後は日本とカナダをと ふらふらしていたのでそれほどではないし まあ 困ったものだと思える。

結論は出ないが バギオという一年中温暖で暮らしやすいところに 居ることが ラッキーと言えばいえる。 寒さも暑さもほぼ無いに等しいし 野菜や肉魚も安いところだから 飢え死にしたり寒さや暑さで死ぬ事も無い。 それでよいとすれば 納得だが やはり もう少し 何かが欲しい。  さてさて どうしたものか。

それはさておきジェンシィが少し地方のテニスの試合に招待されたということで盛り上がっている。 子供の学校も始まることだし 忙しくなり

迷うこともできなく このまま時が過ぎてしまう気もする。

25度曇り時々雨、晴れ プレジデントは10間ほど行くのでもうしばらくは2-4人でプレイすることになる。サアービスの練習が出来るので自分は問題ない。

しかしテニスは奥が深い。やればやるほどやりたいことが多くなる。 やはり系統的に練習していないので このようなことになるのだろう。 

今日は3人しかいなかったので【オーストラリアン1人がシングル2人がダブルスコート」の対戦 をやった。朝7;30--10;00AMで終わる。 

ジェンシィが午後2時から仕事なので12時前には帰らなくてはならない。