不自由を常と思えば不足なし。
もし、あなたが常に満たされていることが当たり前だと思っているのだとしたら、
幸せはこの形しか正解がないと思っているのだとしたら、
少しでも満たされなくなった瞬間に、たどり着けないとわかった瞬間に
「自分は不幸だ」と感じます。
もし、あなたが満たされていないことが当たり前だと思っているのだとしたら、
幸せにはいろいろな形があると思っているのだとしたら、
満たされないことや特定のことがうまくいかなかったことに不幸を感じることはなく、
逆に、少し満たされたり、何かしらが上手くいった場合に「私は幸せだ」と感じます。
同じことが起こったとしても、
前者が当たり前のことだと感じたことを、
後者は幸せなことだと感じたり、
前者が不幸だと感じたことを、
後者は当たり前のことだと感じたり。
両者の違いは何なのでしょうか?
自分とジャンルが近くて、ひそかに(勝手に)尊敬しているブロガーの
一人である猫事さんがこのテーマに関するわかりやすい素敵な記事を書かれていました。
→基準を下げて考える
本当にいつもいつも素敵な記事ばかりで、毎回勉強させていただいています。
さて、先ほどの違いに対する
猫事さんの記事を踏まえた自分の答えですが、、
欲求の基準といったところでしょうか。
周りと比べてしまって、
自分にはないことが受け入れられないから求めるのか、
今の自分の状態を受け入れたうえで、
さらにより良くするために求めるのか。
あなたは知らず知らずのうちに
周りと比べて、周りを基準として自分の欲求としていませんか?
正解はこれしかないと決めつけるから辛くなる。
これが幸せだと決めつけるから、
そこにたどり着けない人が苦しむことになる。
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