じゅう と じゆう


日本語で書くと、同じようにも見える。



自由は平和の上に成り立つ。

平和を維持するのは兵力なのだとすると。銃は自由を守るためのものでもあり。

銃を持つのは、自分と自由を守るためだとすると。

一体もう、何がなんだか。ニワトリタマゴでよく分からなくなってくる。



ただ、思うのは。

人には、人の自由や命を奪う権利はないということ。


日本人とアメリカ人が銃を保持する理由は、基本概念が全く逆であると言うこと。


アメリカ人は、身を守るために銃を保持する。

それは、「周囲が悪い人で、銃を持った人に襲われたら危険だから」

という性悪説に基づく。これは、キリスト教の教えに基づく。


日本人は、誰かを攻撃するために銃を保持する。

「悪い奴は、懲らしめなくてはならない」という一種の正義感。性善説に基づく。

保身のために銃を保持する人などと言うのは、殆ど存在しない。


それでも、同じだ。

誰かが、誰かの命を奪う。そんな権利など、誰にも無いはずなのに。



私も友人に銃をたしなむものがいる。

ハンターである。


彼らは山に入り美味しい獣を取ってきてくれるのだが

ハンティングを楽しむために、酒を飲まなくなった。

何か万が一の有事の際、真っ先にその楽しみを奪われるからだと言う。


ハンティングと言うスポーツ、レジャーは、否定どころか肯定であるが

何となく銃が持ててしまうとしたら。


その銃口はいったい、どこにむけられてゆくのだろう。


コロンバインの、あの衝撃的な映像を思い出してしまった。


長崎市長の回復と、Virginiaでお亡くなりになった方の。事件の被害者のご冥福を祈ってやみません。