もろもろ、最近人には言えない話を聞くことが多い。


必死に揉み消す、某社長夫妻逮捕とか、そんなことはどうでもいいのだが。


帰国後久々に食事をした某代理店のお偉いさんが、ミスユニバースのファイナルに参加したそうである。

その時の裏話を諸々聞いたのであるが、その一部話せることを徒然に。


個人的には、ミス・ユニバース、懐かしい想い出があり。

もう5年以上前の話だが、親しい友人がFainalistになり、応援に行ったものである。





ミスコンの王道と言うか定番なのか。1番見目麗しい子は選ばれないと思う。

Potential勝負というわけではなく、そう。だってビジネスだから。言ってみれば、出来レース。

なんと言ってもMUは決定時までがメディア露出=ビジネスであって

その後は、親善大使として、虚像でなく現実の世界を日給4万弱で、草の根活動するわけですから

ビジネスとしては、2007年のファイナル終了直後=2008年のスタートとなるということ。

途端に、極端にメディアに露出が少なくなるわけです。

あまり、ミスユニバースのその後を拝見する機会がないのは、こんな背景でしょうね。


さて。ミスコンという概念自体が、時代に遅れたものではないかと腑に落ちないのだが

まあ、美人は世の男のmotivationを上げ。世の女ビジネスの最大リソースなので、なくならないのだろう。


しかしながら。MUJは、どうも腑に落ちない。常に、日本人目線から見た美人じゃない気がする。

手足細長く顔は小さく。しかし、丸顔で目鼻口はすっと。いわゆる、欧米人から見たアジア人。


富永愛さん、田辺あゆみさん、川原亜矢子さんなどを想像してください。あるいは、デヴォン青木。


彼女たちはモデルで、ミスではないのですがね。Elite Lookなどでも同様の傾向が見られ。

これはいずれも、欧米マーケットのニーズに合わせたもの。

要は、フジヤマゲイシャ を髣髴とさせる、モデルサイズの合う極めて古来日本人顔の女子を捜している。


もちろん。日本のファイナリストが世界大会で何位になるか、も

アジアの美的水準ボトムアップを鑑みれば致し方ないのであろうが。ちょっと同じタイプばかりでつまらない。


で、これ。なぜ同じタイプの女の子が選ばれるのか。出来レースはいつから始まるのか。


完全、個人的趣味。この大会をオーガナイズするイネス女史の、完全私的嗜好だそう。

2ndクオリファイあたりから、既に目をつけた女の子に決まるんだとか。

ただ、ビジネスとして。出来レースと知りつつも平等にメディアは露出し

あの、モデルコンテスト特有の、奇妙な連帯感を生むワークショップが始まるわけです。


決して、私がちびっこで美しくなく、このようなcriteriaを備えないための嫉妬ではなく。

まー、美の基準を世界標準化しよう。ということ=戦いを生む=ビジネスになる

という悲しい図式を、世の女の子の夢で食いつぶすビジネスの悲哀。


モデルのセレクションではなく、あくまで親善大使としての役目を考えれば。

ミス・ユニバースには、もっと、ステレオタイプではない美の基準を設けて欲しいものである。

世の少女たちに、枠に収まりきらない美の基準と夢を与えて欲しいものである。


ま、こんな大会すら指一本、気分一つで指図できるだけの夫と地位を持った女史が

もっとも日本代表に相応しいのかもしれませんけどね。

あ、でもミスじゃないし日本人じゃないからだめか。笑

もっと裏の話があったのですが、ちょっと今は書けないので、またいつか。