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死産に関するブログです。

閲覧は自己責任でお願いいたします。

※このブログは2018年4月末、18週2日で初産で死産をしたことの記録をするものです。
はじめての方はこちらの記事をご覧ください。

 

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※全ての記事に心情の付記がありますこと、あらかじめご了承ください。

 

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今日は夫と私の話を少々書こうかなと思います。大した話ではないんですけど、何となく書きます。

(書き終わったらめっちゃ長くなってしまったので、お暇な方だけどうぞ)

 

私と夫はいわゆる婚活で出会って結婚しました。

出会ったのが2016年の2月、入籍したのは同年10月でした。

スピード婚だね~なんてよく言われるのですが、お互い婚活で出会っていて、最初から結婚するつもりだったのであまり躊躇するところはありませんでした。

 

出会った頃、私は婚活を始めて1年弱。もうヘトヘトでした。

毎週末知らない人と会って食事をして、どちらからか疎遠になってを繰り返す生活をしていました。

かなりの人見知り、いわゆるコミュ障の私にはすごく疲れる生活でした。

婚活をはじめたきっかけは友人からそろそろ婚活しないと!とたき付けられたというか、まあその言葉にまんまと乗ってしまったのです笑

はじめは勢いがあったものの、3か月、半年、と空振りを続けていくうちにもう駄目だ……という気持ちになり、もうやめちゃおうかなあとも思っていました。

婚活は色々な形態がありますが、私はとある有料のところに登録して「ここでダメならもう諦めよう」と思ったのが2015年12月末でした。

そしてお正月を迎えて2016年。

プロフィールや条件が合致している方を数人ピックアップするシステムがあったのですが、その中に現在の夫がいました。

婚活はもはや数打ちゃ当たる!状態だったので、全員にメッセージを送ったようです。

「ようです」というのは、もう当時しんどすぎて記憶がないのですが、夫曰く私からメッセージが来たので応答した、と言っているからですw

 

ネット上で何度かやり取りして、夫と顔合わせをしました。それが2016年2月のこと。

夫はもっと長期間婚活をしていて諦める寸前だったそうです。

何となくお互いピンとくるものがあったのか、すぐ付き合うことになり、とんとん拍子で婚約、入籍と相成りました。

そんなこんなで、今月で私たちは入籍して2年になります。

 

初対面の時から既に結婚する相手への条件とか話していたのですが、お互い基本的な条件が一致していたのも、入籍が早まる元だったのかもしれません。

その条件の中には子どものことが含まれていました。

以前にも書きましたが、私はそもそも子どもが欲しいと思っていませんでした。(今も夫の希望がなければ次のことは考えませんが…)

でもパートナーとなる人が欲しいと考えるのであれば、子どもを産み育てるのも人生だ、とその時夫に話したと記憶しています。

夫は子どもは絶対欲しい!と目を輝かせていました。

私はまあいいよ~みたいな、軽い返事をしたと思います。

その時は赤ちゃんはお腹に宿ったら生まれてくるものだと信じて疑いませんでした。

 

私はメンタル疾患持ちなので、服薬のことや仕事のことなど諸々の調整があり、妊活をするのに入籍してから少し待ってもらいました。

諸事情で仕事は辞めて主婦になり、病状も良くなって主治医からも妊活OKと言って頂けて、それから半年くらいでレイがお腹に宿ってくれました。

夫の喜び方が本当にすごくて、私ももちろん嬉しかったですが、夫が喜んで笑顔になってくれたこともすごくすごくうれしくて、今でも覚えています。

早期検査薬を買って、それで反応が出たと写真を撮って送って。

でもまだ信じられないな~なんて言って、普通の検査薬の日までドキドキして。

普通の検査薬でくっきり陽性反応が出た時の夫の笑顔は、やっぱり眩しいくらいきらきらしていて、幸せそうでした。

 

それから数日後、激しい嘔吐が始まり、産婦人科で妊娠判定をもらった翌週の7wには重症妊娠悪阻で私の入院生活が始まりました。

2度退院はしましたが、すぐに病院に逆戻り。

夫は仕事が終わった後、必ず病院にお見舞いに来てくれました。

私と、まだその頃名前をつけていなかったレイの為に、来れる日は毎日来てくれました。

出血があった為にお腹を撫でることが出来ませんでしたが、私と大きくなってきたお腹を見ていつも笑顔で話しかけてくれました。

その笑顔とお腹の子の存在だけが、私の支えでした。

私は毎日嘔吐・吐血を繰り返していました。医師には「あんたおかしいよ」などと言われる始末で……。

 

そんな中、ある日突然、レイの心拍が止まっていることが分かりました。

 

私は頭の中が真っ白になってしまいました。

そして夫の笑顔、喜び、生き甲斐を奪ってしまいました。

エクセルに必要なものを書き出して、こんなにものを買わなきゃいけない!用意しなきゃいけない!なんて慌てていた夫の笑顔も、私とレイへかける微笑みも。

そしてレイの命も。

 

全部私が奪ってしまったと、今でも私は思っています。

 

細かいことは死産記録に書いてありますので割愛させて頂きますが、本当に夫の悲しみは私よりもずっとずっと深いと思います。

私も悲しいし辛いけど、夫はもっと辛いんじゃないかなって思っています。

あの日から夫も私も、見ている方向や見えている景色は違えど立ち止まっているなと感じることがままあります。

どれだけ夫を傷つけてしまったか。

そしてレイを生かしてあげられなかったことが何より辛いです。

 

 

婚活の話をどうして書いたのか、というと。

時折、私と結婚しなければこんな辛い想いをすることは夫にはなかっただろうと思うのです。

死産した直後は毎日思っていましたし、5か月が経った今でもそういう考えが脳裏をかすめます。

酷い重症妊娠悪阻も辛かったですが、お腹の中の子を亡くしたことが何よりも辛くて、それを繰り返してしまうのならもう妊娠したくない。

でも夫は絶対に子どもが欲しいという。

だからもっと若くて健康な女性と早くやり直した方がいいのではないかと真剣に離婚を切り出したこともありました。

養子縁組の話をしたこともあります。

夫の答えはすべてNOでした。

私との子じゃなきゃ、意味がないというのです。

 

私は結婚してからの方が、夫が好きになりました。

妊娠してからはもっと。

今はもっともっと好きかもしれない。大好きです。

 

夫には辛い想いをさせてしまったけれど、それでも、レイに出会えたのは夫のお陰で、レイのお陰で私は夫をもっと好きになりました。

たくさんぶつかって、今でも話し合いはたくさんします。

 

本当に色々なことがあったけど、今現在は夫と結婚出来て良かったと思っています。

大好きな夫の為に、また頑張りたいとも思えるようになりました。

夫がどう思っているかは分からないですが、少なくとも私は夫が伴侶になってくれて本当に良かったと思っているのです。

 

出会い方は人それぞれ、人生も、結婚も、出産もそれぞれ、色んな形があります。

 

悲しいことに私たちの息子は先に空へ逝ってしまったけれど、天使となって私たちが更に寄り添っていけるようにしてくれたのかもしれないです。

夫に出会えたことも奇跡ですし、レイが私たちの元へ来てくれたこともまた奇跡でした。

夫にもレイにも感謝ばかりです。

本当にありがとう。

 

もうすぐ入籍記念日なので、そんなことを考えて、めっちゃ長くなってしまいましたが思うままに書いてみました。

お付き合い頂いた方、もしいらっしゃいましたらありがとうございます。

 

最後に、今日の空。

 

 

太陽がまぶしいね、レイちゃん。

夫の考えたray(英語で光)という名前、本当に私たちの息子によく似合う名前だと思います。

レイちゃんは私たちにとって、いつだって光なのです。

レイちゃん。お空の上はどうですか。お友達はたくさんできたかな?

お母さんは毎日お空の写真を撮って、レイちゃんのことを考えているよ。

今日はとってもきれいな青空だから、レイちゃんが笑ってる気がして何だか幸せな気持ちになったよ。

レイちゃん、本当にありがとう。

いつまでもいつまでも、私たちの大事な第一子のレイちゃんが大好きだからね。毎日毎日、想っているよ。