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死産に関するブログです。
閲覧は自己責任でお願いいたします。
※このブログは2018年4月末、18週2日で初産で死産をしたことの記録をするものです。
はじめての方はこちらの記事をご覧ください。
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※全ての記事に心情の付記がありますこと、あらかじめご了承ください。
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朝、重症妊娠悪阻の時と変わらないタイミングの検温等のチェック。飲食は禁止なので何も口にしていない。
いつも通りみたい。まだ、この子が生きている時と何も変わらないじゃないか。そんなことを頭の片隅で思う。
7時頃に点滴を打ち、15分くらいで終了。
浣腸をした。初めてだったけど、日ごろから快便の極みなのでそんなに辛くなかった。
本当に本当に、どうんな風に出産するのかまったく説明がなかった。
私は夫に立ち会って欲しかったので、夫に何時に来てもらえばいいか看護師さんに聞いたら「は?何で?」と言われて立ち去られてしまった。
そんなことしても意味ないでしょ、とでも言いたげな顔だったが、後から思い返せばそんなことはこの病院では出来ない(やらせない)だけだったのだった。
ラミナリアを抜くのは昨日ほどは痛くなかったが、分娩を促す薬の挿入はめちゃくちゃ痛かった。また声が出た。
そのあと、畳の部屋に通された。
他にも人がいて、主に産気づいた妊婦さんが心音を聞いている部屋だった。カーテンで仕切られているだけのスペースに布団が敷かれ、そこに横になった。
頭の上には窓があった。
カーテンが閉められているものの、外の強い日光が顔面に降り注ぎ、眩しくて暑かった。
最初の30分くらいはそんなに痛みはなかったけど、だんだん痛みが大きくなってくる。
薬を挿入して約2時間後、更に追加。
その時、医師が「開いてないな……」とぼそりと呟いた。
こんなに痛いのにまだなのか?!と思ったけど、もう何も言えなかった。だってまだ産みたくなかった。ごめんね……。
それを入れてから30分経ったか、もう少し経ったか分からないが物凄い痛みがやってきた。
初産なので陣痛というものがどのくらいか分からない私はいつ、どのタイミングでナースコールをすればいいか分からないまま、その畳の部屋で、本来の陣痛を抱えている人たちの静かな呼吸を切り裂くように絶叫していた。
痛い、痛い、痛い。
声にもならない叫び声が我慢できない。
そこでやっとナースコールを押して呼ぶも、まだね、というやりとりを数回したと思う。生きんじゃ駄目よというが、いきむというのが何なのか分からない初産である。それでもアドバイスはなく、我慢しろと言われただけだった。
差し込む強い日光のせいなのか、それとも痛みの脂なのか汗をかいていた。頭上の青空を胃今でも忘れられない。
12時半頃、夫にLINEで陣痛がきているからとりあえず来て欲しいと伝える。
この時の私は全く分かっていなかった。それが本陣痛であることを。
12:40頃、再びナースコール。痛い。
来た看護師さんに痛いことを伝えると「出そう?」と聞かれた。初産なのだ。そんなの分からない。
「出していいのよ」と言われた。
なんだよ、出すって。辛くて怒りがわいたけど、痛みでそれどころではない。
痛みはどんどん増していく。
そしてその時はきた。
「もうダメ!!」
そんな風に叫んだと思う。
いきむ、というのがああいう感覚なのだと分かった。
確かにレイちゃんが産道を通り、出産した瞬間だった。ぬるん、というかすぽん、というか。一気にレイちゃんは生まれた。
産声は、なかった。
それからのことはよく覚えていない。
生まれたら性別を聞いて、抱っこさせてもらおうと思っていた。
でも出来なかった。
何で私は、他の赤ちゃんの心音を聞かされながら、分娩台の上に上がることすらなく、出産したんだ?
何だこれは?
痛みだけは消えたけれど、膣の付近に何か紐のようなものの感触を感じる。へその緒だろうか。
そう考えたら頭が真っ白になってしまった。だって、レイ、そこにいるんでしょ?でも何で産声が聞こえないの?
どうして?
私は横たわっていた布団の上にかけられていた厚手の不織布のようなシートに腰を包まれた。
恐らくそこにレイもいたのだろう。
包まれた状態で歩かされ、検査台に乗るよう指示された。
レイがいるのに、ここにいるのに、何にも喋れなかった。一言も。
目隠しをされてしばらく放置された後、医師が来て「子宮を綺麗にします」と言った。
レイのことは一言もなかった。でも聞けなかった。何でかは今でも分からないが後悔している。
その際、全身麻酔をかけた。普通は数字を5数える間に意識がなくなるらしいが、私はお酒に強いこともあり、10くらいまで意識があった。
そして完全に意識は途絶えた。
意識がもどって再び畳の部屋へ戻された。しばらくここで休めという。
スマホを見ると夫は病室で待たされているらしかった。
LINEの記録を見ると、夫に連絡して20分ほどで出産していた。
まさか陣痛というものがこういうもので、こんな風に出産するのだとは全く思っていなかったのだ。
陣痛はもっと痛いと思っていたし、何より分娩台で産むと思っていたから、移動すると思っていたのだ。
それなのに私は、他の人の赤ちゃんの心音を聞きながら、産声のない我が子を出産した。
こんなに惨いこと、あっていいのだろうか。あんまりじゃないか。
それでも、陣痛の疲れと喪失感で茫然自失とした私は、ただただ横たわっていた。
2時間くらいだろうか、畳の部屋から病室へ戻れたのは。
夫が待っていた。
病室へ戻る際、看護師さんが付き添ってくれたのだが「男の人は繊細だから気を遣ってやれ」という旨のことを言われた。確かにそうかもしれないが、今それを私に言うことなのだろうかと思いつつ、流した。
心の感覚がおかしくなっていた。
夫には他の赤ちゃんの心音のことや、分娩台ですら出産できなかったことは言わなかった。あまりにも惨いと思ったからだ。
心の感覚がおかしくなっていた私は、見た目上案外普通に会話をした。夫もそうだったように思う。
彼は私が安静にしている間に先にレイに会ったそうだ。
そこで医師に厳しく注意されたことがある、と彼は言った。
出産した赤ちゃんを見るかどうかはよく考えろ、と言われたそうだ。それで狂ってしまう人もいるからだ。
私たち夫婦はレイに会うことを決めていたから迷いはなかった。
夫はレイを見て、手も足もしっかりあって、可愛い男の子だったよ、と教えてくれた。
私には一抹の不安があった。覚悟はあったけど、やはり自分が受け入れられるかどうか、少しだけ心配だった。
少しだけ夫と会話をしてから看護師さんにレイを連れてきてくれるようにお願いした。
レイは銀盆に乗せられ、ガーゼで顔以外は覆われていた。
そういう記事を見ていたから、覚悟はしていた。そういう扱いをされるだろうと分かっていた。だからそこでショックを多量に受けることはなかった。
というか、それどころではなかった。
初めて見たレイはあまりにも可愛かった。
2018年4月26日 12時50分
性別:男
体重:174g
身長:19.0cm
小さいけれど、あまりにも可愛い。
あまりにも愛おしくて「可愛い」と呟いてから号泣してしまった。
確かに、新生児室にいるような赤ちゃんとは違う。でも、顔立ちもしっかりしていて目鼻口はもちろん耳もあった。
顔も、頭の形も、耳の形も夫にそっくりでびっくりした。
「頑張ったね、レイちゃん、ありがとうね」
何度も何度も、レイに言った。
看護師さんは頑なに銀盆を離さなかった。頭を撫でることは出来たが、手を洗えと言われた。もう「これ」は生き物ではないから、と。
抱っこも当然できなかった。三人で過ごすことも。
それでも私はレイが愛おしくて何度も何度も可愛いと言い、感謝と愛情を伝えた。夫もそうだった。
長い時間ではなかった。もっとずっと一緒にいたかったけれど、看護師さんに言われてレイは行ってしまった。
レイがこんなに可愛いなんて。
産む前もいとおしく感じていたけど、見たらもっともっと可愛くていとおしかった。自分でも驚くくらい。
たくさん泣いた。もうあまり、その時の記憶は残っていない。
とにかく夫とたくさん話した。
面会時間が終わるまで、ずっと話した。何を話したかあまり覚えていない。
ただ何だか心がおかしくて、テンションが高かった気がする。軽躁みたいだった。
面会時間が終わって、夫は帰宅した。
私は放心した。
就寝前に飲む薬を渡されていたので飲んで、トイレに行って寝ようとしたら倒れた。
文字通り、ばたんと倒れた。
しばらくそのままでいたが、何とかはいつくばってナースコールを押し、看護師さんを呼んだ。貧血ではなく脳貧血らしかったが、ずっと起き上がれず動けず、という状態だったので別室に運ばれてその夜を過ごした。
レイと初めて会った日。
空っぽになってしまった日。
それでも忘れられない一日だった。
あまりの出来事に記憶が飛び飛びの部分があり、上手く記録できていないのが申し訳ないが、これが誰かの支えや役に立てばいいと思う。
翌日は退院、そして火葬をせねばならない。
その記録は、次回。
つづく