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死産に関する記事です。

閲覧は自己責任でお願いいたします。

※このブログは2018年4月末、18週2日で初産で死産をしたことの記録をするものです。
はじめての方はこちらの記事をご覧ください。
 

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※全ての記事に心情の付記がありますこと、あらかじめご了承ください。

 

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◆18週0日◆

 

いよいよ、レイとお別れの為の入院の日が来てしまった。

夫は会社を休んでいた。私の為なのが一番大きかったけれど、彼もまた大きな悲しみに打ちひしがれて仕事どころではなかった。

入院は昼からだったので夫に荷物を持ってもらい病院へ徒歩で向かった。

これまでの重症妊娠悪阻の入院はいつ終わるかも分からないから、と荷物が多かったけれど、今回は3泊4日と決まっているので荷物はコンパクトだった。それがまた何とも言えない気持ちになった。

 

 

病室は個室にしてもらった。

悪阻の時は金銭的なこともあり大部屋だった。周りはもちろん赤ちゃんのいる産婦さんが多く「自分もいつか赤ちゃんを」と苦しみつつもそれを希望に頑張っていたのだが、この時の私には大部屋は苦痛でしかなかった。

病院の大部屋というのは誰でも多少なりともストレスは受けるものだけれど、個室があまりにも静かで過ごしやすかったことに夫は驚いていた。

そして

「最初から(悪阻の時から)個室にしていれば灯子のストレスが激減していただろう。そしたらレイも……」

と謝った。

この時点でも死因は不明だったが、私はそんなことないよ、と言うしか出来なかった。

 

 

14~15時頃にナースコールで「1階へ来てください」と呼ばれた。

この病院の1階は一般外来のあるところである。

その時に何の処置をするか聞いていなかった私は、注射でもするのかな?それとも確認のための内診かな?とよく分からないまま1階へ向かった。夫は個室で待っていた。

 

1階へ向かったところ、どこか憂いを帯びた看護師さんが私を見て「灯子さん、こちらへ」と言った。私の入ったことのない部屋には内診台よりは大きい、でもそれに似た台が真ん中にあった。

カーテンで間仕切りはしてあるが明るく、よく見ると診察室と直結している場所にあるようだった。

看護師さんに「ズボンとショーツを脱いで台に上がってください」と言われて上がる。雰囲気は非常にピリピリしていて、何でこんな物々しい雰囲気なんだ?内診じゃないの?とこの時点では私は思っていた。

 

台の上で落ち着いた私を待ち受けていたのは拘束具の装着であった。

足が片方ずつ固定され、腕は二名の看護師さんが押さえつけ、目隠しもされた。

 

え?何で?なにこれ?何が始まるの?

 

それを聞く前に、医師が来た。

「じゃ、処置をしていきますからね~」

軽い調子である。

まず膣近辺の消毒。少し冷たいがこれは全く痛みなし。

クスコを入れる違和感も好きではないが、耐えられないほどではない。

だが、問題はここからだった。

 

「では今からラミナリアを入れて子宮口を広げていきますねー」

(※ラミナリアとは海藻が原料のマッチ棒くらいの棒で、子宮口を広げる為に使う医療器具)

 

 

……は?

 

 

色々な不安に駆られていた私は、処置についてもネットで調べていた。ラミナリア挿入はめちゃくちゃ痛いと感じる人も多いとみていたので不安だったのだが、こんな流れで、ほとんど説明もなしにやるの?心の準備も何もない。不安が心を覆い終わる前に、ラミナリアの挿入が始まった。

 

痛い!!めちゃくちゃ痛い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

当然息が上がり声も出る。

看護師さんに「息をゆっくり吸って。すーーーはーーーーー」と言われて頑張るも、どうしてもうめき声が出てしまう。

そしてラミナリア10本目辺りだったろうか。あまりの痛みに絶叫してしまった私に、医師が浴びせた言葉は

 

「うるさい!!黙れ!!」

 

だった。

目隠しをしているから分からなかったけれど、看護師さんは「痛いよね、もう少し頑張ろうね」と震える声で言っていた。泣いていたのかもしれない。そうも思えるほど、看護師さんの声は震えていた。

私は痛みもあったけれど、心の中で考えていたのは馬鹿みたいだけど、こんなことだった。

 

こんなに痛いことをしたら、レイが死んじゃう!もうやめて!!

 

馬鹿みたいですよね。レイちゃんの心臓は、もう止まってるのに……。でも、本当にそう思っていた。

絶叫時に言われた言葉のこともあって、最終的にラミナリア16本入れ終わるまで声を出来る限り抑えた。

ラミナリアが出てこないようにガーゼを詰めて、1日目の処置は終わりだと言われて内診台を降りた。明日は更にラミナリアを増やし、3日目に誘発剤を入れて分娩するとのこと。

床にたくさん血が流れていて、ああ、こんなに血が出たのか……と混濁する思考の頭で考えた。

お腹は鉛のように重く、膣には激痛。生理痛とはまた違う痛み。

服を何とか着てから看護師さんに支えられて部屋に戻った。

 

 

 

真っ青な顔でベッドに倒れ込んだ私を見て、部屋で待っていた夫は驚いていた。それはそうだろう。息も絶え絶えに説明をしている間にどんどん腹痛が増してきた。

ラミナリアは膨張するものなので、それが大きくなって子宮口を広げている痛みなのだろうが、それもやはりうめき声が止まらないレベル。

夫に手を握ってもらってずっと唸っていた。

 

 

ラミナリア処置の痛みと本数に関してだが、これは本当に個人差が強い模様。

私は初産だったので子宮口が硬く、たくさん入れないと開かないから本数が多かったのかもしれない。(次の記事でも書きますが、最終的に26本入れました)

痛みについても個人差が大きく、別に~というレベルから私みたいに絶叫する人、失神する人もいる模様。

ネットで調べたところ、生理痛がきつい人は痛みが大きくなりがちというのも見かけた。私はかなり重いので、それも影響したのかも。(あくまでも一般個人ブログで見た情報)

 

 

18時頃に夕食が運ばれてきた。

この産院の唯一いいところはごはんが美味しいとことなのだけれど、この時点でも悪阻が終わらない私はほとんど食べられなかった。

それでも一口だけ、舌に触れる程度でも少しだけ味わって

「レイちゃん、これがニンジンだよ。これが玉ねぎだよ」

とお腹をさすりながらレイに話しかけた。

レイがお腹にいる間、私はほとんどまともな食事をしたことがない。レイに食材や料理の味を伝えるのも、お腹ごしだともうチャンスは少なかった。だから伝えたかった。

もっと美味しいもの、たくさん食べて大きくなりたかったよね。ごめんね、レイ。

 

私が「レイちゃん、レイちゃん」と話しかけるのは、少し涙ぐんでいるけど、それでも笑顔だった。だって可愛い我が子に話しかけているんだもの。喜びも大きい。

それを見た夫が「灯子、いいお母さんだね」と言ってくれた。

全然そんなことないけれど、そんな私とお腹の中にいるレイを愛おしそうに見る夫もまたいいお父さんだった。

面会終了時間まで夫は病室にいて、レイにたくさん話しかけてくれた。もちろん私も。

 

明日は処置2日目。

レイと離れ離れになる時間が刻一刻と近づいてくる。

レイのいるお腹を何度も撫でて話しかけながら、夜は過ぎていった。

 

 

 

つづく