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死産に関する記事です。

閲覧は自己責任でお願いいたします。

※このブログは2018年4月末、18週2日で初産で死産をしたことの記録をするものです。
はじめての方はこちらの記事をご覧ください。
 

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※全ての記事に心情の付記がありますこと、あらかじめご了承ください。

 

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◆17週4日◆

 

私は酷いつわり(重症妊娠悪阻)で入院していました。

妊娠が分かった5wくらいから激しい嘔吐がはじまり、7wからは入院しては軽くなって1~2週間ほど自宅に戻り、悪化して入院を繰り返していました。

この時は重症妊娠悪阻による3回目の入院をしていました。

(※重症妊娠悪阻自体も壮絶なものでしたので、また別の機会に書くかもしれません。入院してもほとんど良くなりませんでした…。)

 

この日は退院をジャッジする為の診察があり、昼前に病棟から降りて一般の診察室の前で、外来の方々と一緒に順番を待っていました。

私の髪はぼさぼさで、2週間お風呂にも入っておらず、肌も栄養不足でがさがさを通り越して皮膚がめくりあがっていました。

周りの人が異様な目で見ているのは分かっていましたが、自宅にやっと帰れること、そして我が子のエコーを見て姿を見れることを、その時はとてもとても、楽しみにしていたのです。

 

そして順番が来ました。

それまでどんなに悪阻が酷くとも「赤ちゃんは元気で順調ですよ」という、その言葉だけに励まされて生きてきました。

だから今度も大丈夫と信じていました。むしろそれ以外なんて、考えてなかった。

 

エコーの台に上がり、先生が道具をお腹に当てて赤ちゃんの様子を見ます。

 

(……あれ?)

 

違和感がありました。いつものエコーと少し違うのです。何というか…、後から「対流」という言葉を知るのですが、それがないように見えたのです。

いつもよりエコーは長く、先生は無言のまま様々な角度から観察をしています。

そして一言。

 

「赤ちゃんの心臓が止まっています」

 

そう仰いました。

私は「え……?」と短く言った気がします。

何が起こっているか分かりませんでした。

お腹のジェルを看護師さんが拭き、「先生の話を聞いてください」と台から降りるように私を促しました。

 

椅子に座ると先生はその場で分かる限りの観察結果を仰っていたように思います。

 

本当につい最近まで生きていた。

心臓が止まったのはごく最近のことで、つい最近まで成長を順調に続けていたと。

でも、心臓は止まっている。

2日後、また診察して心臓がやはり動いてないのであれば「処置」をする。

 

もっと色々仰ったのかもしれませんが、私はもう何が何だか分かりませんでした。

返事をすることも出来ませんでした。

 

 

診察室を出て、退院許可が出て迎えを用意しているであろう夫へ電話をしました。

何と伝えたかは覚えていませんが、とにかく取り乱していました。

電話に出た夫は絶句していました。

その時何をどう話したかも、やはりあまりよく覚えていません。

 

 

夫に迎えに来てもらい、とにかく謝りました。何でかは分かりません。原因は私かも分からない。でも謝りました。

正直な話をすると、私個人は全く子どもを望んでいませんでした。ただ夫には強い希望があり、それで妊娠することを決めました。

夫が妊娠を喜び、私と赤ちゃんのことを考える時の幸福な笑顔は、今でも瞼に焼き付いて離れません。あんなに幸せな表情をするのを見たことはなかったし、その笑顔を何度でも見たいと思いました。

私は夫を心から愛しています。

だから常軌を逸した悪阻にも耐え、子を産むことを必死に頑張ろうと思っていました。

それなのに、彼から子も笑顔も奪ってしまった。

謝っても謝りきれませんでした。

 

 

帰宅してから、夫は我慢していたのでしょう、堰を切ったように号泣し、叫びました。

自分も死ぬと言いました。自分もこの子の元へ逝くと言いました。

私は首を横に振り、涙を流すことしか出来ませんでした。

申し訳ない。ごめんなさい。

そんなことを言っても何にもならないのに。

それでも私には謝ることしか出来なかった。

このお腹の赤ちゃんと、誰よりも赤ちゃんを愛している夫に。

 

 

悪阻は確かに地獄です。この日も嘔吐をはじめ症状がなくなったわけではありませんでした。

 

「つわりがあるのは赤ちゃんが元気な証拠」

 

あれは嘘です。

だって、私のお腹の中に赤ちゃんはいるけれど、心臓は動いていないのです。

 

それでも、これが生まれる瞬間まで続いたとしても、私はこの子を産みたかった。

毎日胃液と血を吐き、食事どころか水を一滴も飲めず、点滴だけで生き、体重が20kg減って、それでもよかったんです。

この子を産んで、夫に笑っていて欲しかった。

 

それを壊したのは、原因は分からないし、自分を責めるなと多くの人が言うのでしょうが、自分であると私は思っています。

 

 

何もかもが壊れてしまった。

そう思いました。

 

残酷な日々のはじまりでした。

 

 

つづく