ブログを始める。


そして6月からの新しい会社で新たな出発をする。

これまでの人材育成の分野での経験をもとに

組織開発の分野に挑戦していく。


新しい使命を帯びて仕事を始める前に

今一度仕事に賭ける自分の思いを整理しようと思う。


先日、宮城の被災地を訪れた。

仙台港に入り、東松嶋、石巻と車を走らせたが、

そこで思い知らされたのは

TVと自分を隔てる1枚の画面の厚みであった。


道に転がる工場のタンク。

畑があったと思われる閑上地区に広がる広大な敷地にまだあちこちに

根っこからむき出しになって転がる木々。

川に浮いている寺の屋根。

荒廃した街に、それでも無事形をとどめた家々が転々とする。その回りを子供が無邪気に走り回る。

その手前の川には自衛隊の方々と高く積み上げられた瓦礫の山。


「ひどい....」


次々に目の前に映る現実に、この他に出てくる言葉がなかった。

想像以上だった。あれから2か月である。

それなのに震災直後と行ってもおかしくないような光景が広がっていた。

あの状況を見ると「頑張ろう」という言葉があまりに無力に感じてしまうのである。

生きていこうとする気力を保つので精いっぱいではないか。

被災したわけではない自分が現実を目の前に感じたのはとてつもない絶望感だった。


石巻の町で見かけた呉服屋のシャッターに飾ってある子供の字と絵で描かれた

「国民の皆さん、ありがとうございます」と書かれた模造紙。

自分が本当にどれほど役に立っているのか、改めて自らに問いかけた。


「自分に何ができるのか」


この3ヶ月近くの間、いろいろな人がこの問いを自らに問いかけ、

それぞれの使命観で動く姿を様々なメディアを通して見てきた。

懸命になるその姿に心を打たれるものもあった。


自分も問いかけた。問いかけ続けた。


長くかかったが今ようやく答えを出せるような気がする。


私が被災地に自ら身を置き、感じたこと、

自分が被災地にいたら何を最も不安とし、何を必要とするだろうか。

それはまぎれもなく「これからの生活の保障」だった。

生活の保障をするためにも雇用の創出が必要だ。

まずは雇用が促進されるべく経済の活性化に貢献し、

現地の雇用促進に乗り出す企業を自らの仕事を通して率先して支援していくことが

最優先である。


そしてもう一つ。

それは今後支援が効果的、かつ迅速に行われるよう、

我々国民と国との関係性に変化をもたらしていくことだ。


原発の問題はもちろんのこと、現地の雇用の問題とこの生活の保障の問題は、

間違いなくこの後もずっと大きな課題として残る。

国がどこまで保証できるのか。私たちは国家の債務も膨れ上がる一方で

どこまでそれを国に対して要求し続けられるのだろうか。

それで本当に被災地の方々が救われていくのだろうか。

我々の多くはその責務を常に国に問い詰めようとする。評価しようとする人々すらいる。

しかし、どうだろうか。今日の国の対応を見ていても、

もう要求過多な状態になっていることは明らかではないか。

我々は、被災地に対してどう支援していこうかという考えで動くことはあっても

政府に対してどう支援していこうかという考えには至りづらい。原因は様々あるだろう。

しかし、そろそろ国民それぞれが政府をバックアップするフォロワーシップを発揮する時ではないだろうか。

バックアップというよりもリードすることがあってもおかしくない。

とにかく、政府が補えない部分を率先して支えていこうとするべきではないだろうか。

実際そういった動きを今回の震災後に様々なメディアを通して目にすることもできた。

しかし、まだまだ誰かに責任を押し付け攻撃したり、諦めて閉口してしまうなど

他人任せの状況があちらこちらで見受けられる。

なぜ人はこの期に及んでこれまでと同じ方向に進もうとするのだろうか。

過去このような状況に耐えきれず、次から次へと短期間でリーダーがつぶれてきたではないか。

そんな日本の現状は今の多くの企業組織が抱える問題そのものにも思える。

もはや一企業で見られた問題がいまや社会の問題の縮図となっていたのである。


こんな状況で上手く事が運んでいくはずがない。

6月から私が背負うミッションは、かつて日本企業のお家芸だったはずの

「お互いが協調し、支え合いながら成果を出していく風土」を今の企業組織の中に取り戻すことである。

草の根活動ではあるかもしれないが、個々の企業組織から変革を試みていくことで

一人でも多くの方々の行動変容につながり、そうした方々の意識の連鎖が日本全国に広がることに

尽力していきたいという思いである。そして、政府を攻撃するだけでなく、一体となって事を起こしていく

多くの国民の姿がこれからの先進国をリードする新しい国の形として、世界の模範となれる

日を心から望みたい。


微力ながらも、そのようにして日本を盛り上げていく原動力に貢献していくことが

私の出来る唯一にして最高の「できる何か」なのだ。