こんにちは。
木下研生です。
最近はTPPの話で世の中は盛り上がってますね。
参加の賛成、反対と色々議論はありますが、
木下はTPPは必ず参加になるだろうと思ってます。
人口減少、高齢化、さらには貯蓄率の減少。。。
この様な状況では経済成長は少なく、
参加させざるを得ないと思います。
もしTPPに日本が参加したら、日本の企業もどんどん世界へ進出していくでしょう。
その時には今の日本のビジネスパーソンは世界の政治や戦略に関係する教養がないと
世界で勝てないことも出てくるのではないか?と思い本書を手にとりました。
日本の政治では醜い政争ばかり新聞や雑誌に載っていて、
政治と国家戦略がどう繋がり、どう国が発展するかなんて視点は養われないですもんね。
この著者のリチャード・ヴィートー教授は、2009年にハーバードビジネススクールの優秀教官賞を受賞した人物で、その名物講義が、本書の内容でもあるBGIE(Business, Government and the International Economy)です。
ヴィートー教授は国の動きはさまざまだがある一定の法則を持っていると言います。
それは夜空にきらめく星々のように、
小さな円を描いて1年で回るものもあれば、
何百年もかけてゆっくり一周するものもある。
大国も小国も、星のように何らかの「軌道」をもって動いているそうです。
ここで言う「軌道」とは発展で、
教授は今世界を8つに見ていました。
①アジアの高度成長という軌道
②ラテンアメリカの債務危機からの回復
③アフリカのルネッサンス(復興)
④イスラム諸国の台頭
⑤ソ連崩壊、およびロシアと東欧のポストソビエトの再構築
⑥欧州の経済統合
⑦日本とアメリカにおける財政赤字と巨大債務
⑧異なる種類の軌道で、地球規模の環境の軌道
どれも興味深い内容ですね。
そして普段流れてくるニュースがこのフレームワークで見ると凄く内容がクリアになる。
その情報という点が線になる。
ここでは日本が出てくる①とその他気になった事を赤ペンチェックします。
①アジアの高度成長
【日本ミラクル】
■世界があきらめた日本■
日本は世界第二次世界大戦で、何百万もの人が犠牲になり、都市は爆撃され、破壊された。
戦後すぐの在日米国大使を務め日本の権威になったライスシャワーは、
「日本は全国民を養うにたるだけの十分な食糧を生産することができない。
日本は数千人の衣料をつむぐための繊維の大部分を生産することができない。
石油も鉄もはなはだ少なく、近代的工業経済の維持に必要な他の鉱物や原料の大半も量が足りない。
日本が完全に自国内で生産した主要輸出品の一つである絹に対する需要の大半はナイロンその他の化学繊維のために消滅した。
日本が世界市場に供給しうるのは、日本自身のエネルギー、すなわち人力と石炭・水のエネルギーだけである。(中略)しかし世界は二つに分裂し、極東諸国は革命によって破壊され、日本とは貿易するまいと堅く決意しているので、日本はどこに市場を見出したらよいのだろうか」
このようにライスシャワーは結論づけているが、
日本は1954年から1971年の長期に渡り、
日本は実体経済を10.1%成長させたのだ。
日本は確実で綿密な戦略をもって、
国民、企業、国家すべてが一体となって成し遂げたのである。
この驚くべき戦略はアジアで初の輸出主導戦略であり、
自国の組織構造と国内状況にマッチした、研ぎ澄まされた戦略であった。
■日本に残されたカード■
日本には当時資源はなかったが、強みがあった。
人口の大部分が同じ民族で構成されていたので、
たとえばインドのように宗教や人種や文化や言語の異質性に対応することに多くの時間と政治的エネルギーを費やす必要がなかったことだ。
それゆえ日本には合意に基づく意思決定プロセスがあり、他国に比べ比較的容易に方向性を形成することができた。
さらに非常に優秀な初等教育と中等教育、
そして素晴らしい工学技術もあった。
そして日本ではエリート官僚がとても円滑に機能しており、米国の防衛力の傘の下に入っていたので、
限られた資源を膨大な防衛費として使う必要もなかった。
さらに幸運にもエネルギーが安く手に入った(国内の石炭のことを言ってると思われる)。
その一方で、外貨が無かったためにドルを稼ぐ必要があった。
日本が外貨を稼げる市場は世界にあったのだろうか?
中国市場は共産主義革命が起きたあと閉鎖されてしまい、
東南アジア諸国との関係もまだ修復できておらず(現状を考えると、ここの表現から戦後日本は東南諸国との関係修復に涙ぐましい努力をしたのだと思います)、
さらに欧州も貧しかった。
唯一残されたのは米国市場であった。
■日本が成長する唯一の道
米国市場をターゲットとし市場を切り開くために限界費用価格を設定した
「限界費用」
http://ja.wikipedia.org/wiki/限界費用
為替環境も功を奏し、円が安いことが有利に働き、安価な日本製品が米国市場に流入することになった。
他方国内では産業を寡占状態にして、高い価格で市場に売って採算をとるという組み合わせだ。
規模は国内市場によって実現し、海外は限界費用価格で輸出してシェアを伸ばすという市場戦略であった。
製品戦略も非凡であった。
多くの開発途上国は安くて付加価値の低い製品から出発するが、
日本はその道を選ばなかった。
日本は原料やエネルギー資源の輸入額が大きいので、付加価値のマージンがごくわずか。
いずれやってくる東南アジアの貧しい国々との価格競争には勝てないという事を理解していた。
日本は8つの産業に的を絞った。
特定産業に関するさまざまな保護育成策を打ち出し、
石油化学、アルミ、工作機械、自動車、電子機器、鉄鋼、造船、航空産業の振興をはかった。
日本人たちは自分たちが優れた自動車をつくれるようになるまでに10年も20年もかかることを最初から覚悟していたのである。
また、日本には安定した政治体制があり、それが非常に長期的な戦略を採用することを可能にしていた。
■発展に焦点を絞った資金調達戦略■
日本の企業は自己資本比率が低く、
大手銀行の貸し出しに依存している。
メーカーは決まった借金の返済をしていればよかった。
これは大きな意味があった。
欧米の企業が15~18%の利益を上げなければならないのに対し、
日本では数%で十分であった。
これがコストを下げる強みになった。
■高い貯蓄率がシードマネー■
最後の重要な要素として挙げられるのは、
資金調達の源泉が日本人の貯蓄であったことである。
この巨額な貯蓄は系列の銀行や日本中にある郵便局に入っていき、
日本はそれを産業や公共のインフラに投資してきた。
■驚くべき結果■
1960年池田勇人内閣は「所得倍増計画」を打ち出し、
1970年までに国民の所得を2倍にするという驚くべきプランを公表した。
これを実現するためには年平均7.2%の成長を遂げなくてはなrないが、
日本はそれを大きく上回る年平均10.6%もの成長を実現させた。
日本は国内外の状況を正確に読み取り、それにパーフェクトにフィットした経済戦略を構築した。
国民が持ち合わせていたスキル、勤勉で実直な労働力、貯蓄や投資を刺激する制度の数々、
そして官僚が軸になって練られた緻密な計画プロセス。
日本は富裕市場をターゲットとし、
米国の傘を享受し、通貨が固定された外部要因をうまく利用しsた。
その戦略を実行するために、労働組合との関係、政府と企業との関係などに効果的な組織をつくった。
これは戦略、構造、そして状況がすべてマッチした、国家戦略の完璧なモデルである。
いかがでしょうか。
ここまで赤ペンチェックを書いたのですが、
当時の日本の戦略が素晴らしすぎます。
今まで日本の高度経済成長を聞いていて、
なぜ当時日本だけ出来て、
他の国が出来なかったのか。
よーく理解できました。
そしてこのモデルよ利用してアジア各国が成長してきた。
日本のこのモデルは世界に誇るものであるし、
今後もし僕たちが外国人の方と働き、
ある日「日本は戦争で負けてあんなにひどかったのに、なぜここまで成長できたんだ?」
と聞かれたらまずこの赤ペンチェックを語ると思います。
この内容の濃さ。
まだこれで1つの章の1節。このあとはシンガポールと中国が続きます。
確かにこの本は大衆的でなく、
みんなに役立つとは言いづらいですが、
もし今後、世界に出て働く、もしくは外国人と日本で一緒に働くことになるといった人がいたら、
この本は一読しても損はない一冊だと思います。
もし宜しければ読んでみてください。
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