子供にとって“親は世界のすべて”です。幼ければ幼いほど、親のいない世界なんて考えもしません。
この曲はそんな子供の視点から見た、親へのメッセージなのでしょう。親の視点、子供の視点、それぞれの視点を自分と置き換えて聞くと、感慨深いものがあります。
私は子供の頃「違う家の子に生まれたかった」と思ったことがあります。単に悲観しているだけで、その世界(自分の家族)しか知らないことから出た考えです。
子供は「自分はいらない子なんだ」と思いはしても、親を排除しようという思考にはなりません。抵抗する術や反撃すること覚えてもおかしくない年齢になれば別なのでしょうがね・・。
親にはなったことがないので、親=私 子=愛犬 と置き換えました。
詩の内容は、虐待死した子供が親に向けてのメッセージとして書かれています。少なからず衝撃的ですので、不快に思われる方もいるかと思います。
賛否が分かれますが、私は子供らしいと感じられるひねりのない詩がすべてを語っていると思いました。俗世に汚れていない分、子供は純粋なものです。
夏休みに泊りがけで来た姉と姪(小2)が、隣の部屋までまる聞こえの大喧嘩をしていたことがありました。親子喧嘩に口を挟むのも余計なお節介と思い黙認していたのですが、1時間以上の怒鳴りあいと姪の口から出た「死ねばいいんでしょ!」という壮絶な言葉に唖然となり、お節介ながらもドアをノックしに行きました。「大丈夫?話しようか?」とひと声かけると姉に断られましたが、一瞬でも私という邪魔者が入ったことで2人とも冷静になり、その後すぐ喧嘩は治まりました。
ここからもわかりますが、姪は“自分が”死ねばいいという思考に達しています。親が死ねばいいという思考にはなりません。本気ではないにしろ一体どこでそんなことを覚えたのか不思議ですが・・、姪と2人で買い物へ出かけた時にそれとなくフォローしておきました・・が、きちんと理解できる日はまだまだ先ですね(´ω`)
どんなに親がダメ親でも、子供はその親しか知らないわけで。毎日の育児は大変でしょうが、だからといって子供を傷つけていいという理由にはなりません。心も体も傷つけて殺してしまう(人間としても)ダメ親になるくらいなら、ダメ親なことを認めて第三者に助けを求めるべきです。自分の家だけが特別ではありません。どこの家でも、紙一重ではないでしょうか。
この曲はそんな子供の視点から見た、親へのメッセージなのでしょう。親の視点、子供の視点、それぞれの視点を自分と置き換えて聞くと、感慨深いものがあります。
私は子供の頃「違う家の子に生まれたかった」と思ったことがあります。単に悲観しているだけで、その世界(自分の家族)しか知らないことから出た考えです。
子供は「自分はいらない子なんだ」と思いはしても、親を排除しようという思考にはなりません。抵抗する術や反撃すること覚えてもおかしくない年齢になれば別なのでしょうがね・・。
親にはなったことがないので、親=私 子=愛犬 と置き換えました。
詩の内容は、虐待死した子供が親に向けてのメッセージとして書かれています。少なからず衝撃的ですので、不快に思われる方もいるかと思います。
賛否が分かれますが、私は子供らしいと感じられるひねりのない詩がすべてを語っていると思いました。俗世に汚れていない分、子供は純粋なものです。
夏休みに泊りがけで来た姉と姪(小2)が、隣の部屋までまる聞こえの大喧嘩をしていたことがありました。親子喧嘩に口を挟むのも余計なお節介と思い黙認していたのですが、1時間以上の怒鳴りあいと姪の口から出た「死ねばいいんでしょ!」という壮絶な言葉に唖然となり、お節介ながらもドアをノックしに行きました。「大丈夫?話しようか?」とひと声かけると姉に断られましたが、一瞬でも私という邪魔者が入ったことで2人とも冷静になり、その後すぐ喧嘩は治まりました。
ここからもわかりますが、姪は“自分が”死ねばいいという思考に達しています。親が死ねばいいという思考にはなりません。本気ではないにしろ一体どこでそんなことを覚えたのか不思議ですが・・、姪と2人で買い物へ出かけた時にそれとなくフォローしておきました・・が、きちんと理解できる日はまだまだ先ですね(´ω`)
どんなに親がダメ親でも、子供はその親しか知らないわけで。毎日の育児は大変でしょうが、だからといって子供を傷つけていいという理由にはなりません。心も体も傷つけて殺してしまう(人間としても)ダメ親になるくらいなら、ダメ親なことを認めて第三者に助けを求めるべきです。自分の家だけが特別ではありません。どこの家でも、紙一重ではないでしょうか。