そのため、なかなかトレーニングなどを始めても続かない人などは、それだけで後ろめたさのようなものを感じてしまう方もいるようです。
また、これぐらいでキツイとか言っていてはいけないと思ってしまったり。。。
でも、実際はどうなのか?
今回はそんな話です。
そもそも好きとは?
無条件に好きか?ということかと考えています。オザワにとってそういう意味で好きなのは、身体を動かすことであれば、スノーボードです。理由はなくてもいいんです。ただ滑るのが楽しいから。別にそれでプロを目指すとかそんなこともなく、上手い下手も関係なく、ただ面白いというもの。トレーニングがそういう存在かというと。。。トレーニングは好きだけど、トレーニングが好きというわけではないかも
自分のことで「かも?」とは、あいまいな表現で恐縮ですが、こういう表現が今は一番しっくりきます。オザワの場合、主役がトレーニングではないからかと思います。トレーニングが好きな人というのは、1日何時間でもトレーニングを毎日でもしていたいという、トレーニングという行為そのものが好きで、トレーニングができればよいというような人と考えていますが、オザワの場合はそれとは少し違うと感じているからです。トレーニングをおこうことが好きではなく、成果を与えてくれるから好き
オザワの場合、トレーニングをちゃんとおこなっていたほうが身体の調子がよいんです、単純に。誰に言われるでも、人の手を借りるでもなく、自分がきちんとおこなえば、成果が自分に返ってくる。だから結果としてトレーニングおこなうのは好き。(日々のトレーニングで人の手を借りることはないですが、これまでに他の指導者の方に教えていただいたり、参考にしたりと、他の人からはイロイロなものをいただいています。)
仕事なので当然だろうという話も
トレーニングの指導をしている以上、少なくともお客様におこなっていただく運動は、自分が考える適切なフォームで実際に見せることができなければいけません。これは、難しいことでも何でもなく、日常的におこなっていることが1番です。だから、義務的におこなうという要素は良くも悪くもあっていい部分だと思っています。
実際に、特にこんな場面では、そういった気持ちが役立っています。
オザワがおこなうトレーニングのプログラムは自分のために考えておこなうわけですが、量的にキツイ内容のプログラムの時などは、自分で考えておきながら「やだな~」と思うこともあります。そんなときは、「人にやってもらってるんだから、自分がやらないわけにはいかないよね。」このような気持ちで頑張ることも、もちろんあります。
トレーニングは好きではなくてもよいもの
トレーニングって好きでなくてもよいし、好きにならなくてもよいものだと思います。ただ、自分に適切な内容でおこなっていれば、なんらかの成果はでます。それが、オザワのように自分にとって価値のあるものかということかです。また、労力と成果の関係もあるでしょう。手段として効率がよいかというのも(思えるか)も大事かもしれません。スポーツが好きでも、トレーニングは好きでないという人は少なくないし、身体を動かすことが苦手な人は、トレーニングも好きではないのは当然でしょう。だから、最初から好き、嫌いではなく、何のためかという目的があるかどうかで、それを目指す気持ちが強いものならば、好きか嫌いかという要素を最初は排除してしまったほうが、結果的にトレーニングが役立つし、自分が好きなことをしたいなら、トレーニングでないほうがよいと思います。(そうしたモノをトレーニングにしてしまうと、よく分からない流行の運動を追いつづけることになるのかと)
名古屋市昭和区パーソナルトレーニングスタジオGlimSC
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