3月11日 14:46、東北地方太平洋沖地震発生。また、それに伴う多数の余震や津波が多々起こり、さらに福島の原発の爆発も心配されている(今は水素爆発だけで済んでいるが)。
全ての発端となる地震が起こる前、俺たちは割と普通に教室で菓子パをしていた。楽しく、美味しく、ただ微笑ましい時間を過ごしていた。
その後俺は、課題の調べものをするべく、一人情報室にいた。
Googleの検索窓にワードを入力し、Enterを押下した僅か数秒後だった。
床が揺れはじめた。
少し慌てた様子で扉を開ける松本さんと、突然の出来事にあたふたする女性の方々。
そして揺れは強くなる。
「出よう!」
松本さんが叫ぶ。
とりあえず情報室のパソコンは放置し、自分の荷物を掴んで出口へ向かう。
3階だったてのも有か、結構揺れは強かった。
慌てず走らず、と俺たちを誘導する教職員の人々。
1階まで下り、ちょっとした広場みたいなところで揺れがおさまるのを待つ。
校舎は、ガタガタと音を立てながら、震度4(3?)の揺れに耐えていた。
一先ず揺れはおさまり、教職員の誘導に従いグラウンドへ。
グラウンドには、やはり色んな人がいた。
他人事のように笑っている人、
家族の安否確認に携帯を握る人、
突然の出来事に混乱して泣く人、
無邪気に駆け回る人。
自分自身も、当時はそこまで深く認識はしていなかったのだが、ワンセグでNHKを確認すると、相当な規模の災害だということが分かり、正直、ぞっとした。
とりあえず青森の従姉にメールを出し、家族にも電話をしようと思ったのだが、この緊急時、電話が込み合って繋がらない。
とりあえず学食へ移動し、放送指示が来るまで待つ。
4組のとある女子も、祖父母が宮城住まいとのことで、血の気の失せた顔をしていた。
とりあえず彼女に携帯の充電器を貸し、自分は外に出る。
この時の自森を残しておこうと、色んなところで動画や静止画を撮った。
学食に戻って間もなく、放送で指示が入る。
「それぞれ自分のクラスに戻れ」
てなわけで、5組へ移動。
正直、教室にこれだけの人数が集まったのは久々かも。
担任も結構焦っていて、いつも以上にピリピリしていた。
点呼。
少しの人は既に帰ったのだが、その人々の安否が心配だった。
そして、電車も学バスも固まっていて、山を下りることが出来ない。
近場住まいの人はジョン母の車で帰ることが出来たようなのだが、それで帰れなかった人は寮に泊まるんだとか。
…
いつもと違う、気の引き締まった学食。
晩飯のときも、常にワンセグが働いていた。
そして、晩飯後のミーティング。
寮監の石川さんが、起きている事を詳しく、かつ簡潔に説明してくれる。
そこで改めて、事の重大さを思い知らされた。
そしてもう一つ。
その夜は、ロビーで全員まとまって眠る事になった。何か起きたときにすぐ逃げられるようにだとか。
…
寝るときになって、実際に横になってみると、やっぱり窮屈。眠りづらかった。
…
翌朝。7時半に起こされ、とりあえず点呼を受ける。
そして携帯を確認すると、エリアメールが3本来ていた。
そういえば、揺れで一回起きたのを覚えている。
そして学食へ。やっぱ泊まり通生もいて、結構混んでいた。
皆様…お気の毒に。
朝飯を採って、テレビを見ていると、英樹さんが来た。
家族のが大事でしょうが、俺たちのためにわざわざ来てくれて…感謝。
そしてまたテレビを見ていて、津波などの現実を知る。
残骸の映像を見て、現地の方々の話聴いて、などなど。
そして、福島第一原発が危ない事になってるのを知る。
それとほぼ同時に、隣のながやんが駆け込んでくる。
この件を伝えに来たのだ。
原発が爆発すると、広島原爆の云々倍もの威力が出る、てことや、いざメルトダウンが始まったらどうするか、
その他色々な事を話してくれた。
そして最後に言っていたこと、
「何かあったら、俺は正しかったってこと、覚えといてくれ。」
うろ覚えだが、こんな感じだったと思う。
そんなこんなで晩飯の時間。
放射能の漏れ出しとかが心配で、全員身体中を服とかで包み、肌を空気に触れさせないように学食へ向かう。
なんとまぁシュールな光景だ。
小学校の避難訓練を思い出すな、なんとなく。
戻ってテレビ点けてみると、
え、何、爆発したの!?
骨組みだけになってるってそれ…
ヤバい、死ぬんじゃね、俺ら。
ああー…死にたくないけどしかたないよなぁぁ…
みんなー…今までありがとぉー…
ギリギリ16年に満たない人生だったよ…
==:数時間後:==
なんだ、内部爆発じゃないの。
外側の水素爆発か…
びっくりしたぁぁぁぁ……
…今日も雑魚寝かよ…
しかし、定員オーバーで冷たい床に寝ることに…。
しかも大きな掛け布団はタケルに奪われました=タオルケットのみ=すんげー寒い。
2回起きました。寒くて。
耐え切れなくなった俺は、無意識っぽく部屋に戻っていた。
雑魚寝が絶対だったのだが、俺はその掟を破ってしまった。
そして目覚めたのは昼の12:30。
よく眠った…
そろそろ課題をはじめないとな…
と思っていたところ、ちょっとした事件が。
PCの調子がおかしい。
ログインしてデスクトップアイコンが出たところでブルーアウト。
セーフモードでも起動出来ない。
仕方なく、Ubuntuで起動してディスクマネージャーを開いてみると…
いきなり赤字で、
「ディスクが故障しかけています」との表示が…。
続いて、独立ウィンドウで
「すぐにバックアップをとってディスクを交換してください」との警告も…
全く…なんでこういうときに限ってPCまで死にそうになるんだ…
課題とか全部コイツでやってるんだっての…。
とりあえず主要なデータのバックアップは成功(総じて80GBあった)し、しばらく眠らせておく…。
今日は放射能とかの心配はほとんどなく、今日はソファーをゲット。
よく眠れました…
翌朝。
つまり今朝。
朝食のパンメニューを美味しく頂きました。
その後、
…二度寝。
今日も水素爆発あったそうですね。
で結局今日もなにもできず、いまに至って寝ることに。
ってまぁ、そんなことはどーでもいいんですけど、
この惨事が連続して重なり、もはや歯が立たなくなっている。
この、地球環境がおかしいときに。
一応少しずつ環境問題の改善に努めているそうなのだが、それでもほとんどなおっていない。
たぶんそれで、母なる大地の神が怒ったんだろう。
何もしようとしない、俺たちに対してキレたんだろう。
これを期に、もっと力を入れろという暗示何だろう。
環境問題だけでなく、他のことに関しても。
…頑張らんとな。
初めてこんな長い文書いた…