大人になるにつれ
私は、私と他人という境界線を
ひいてきたが、
それは当たり前のことではなく、
成長するにつれ
学んできたことである
逆にいえば
境界線を引くこと
あるいは、
細分化することが
成長の証ともいえる
より狭く
より深く
追求することで
人類は
進歩してきた。
その結果、
全体を見渡す能力を見失った
境界線を引けば
アイデンティティを
確立することができる
境界線を引かなければ
どこからどこまでが
自分であるかが
分からなくなってくる
ぼやけてしまう。
私たちは、呼吸している
私の吐き出した空気
私の何らかの成分が入った空気は
いったいどこまで移動しているのだろうか
私は食べ物を食べ、
便を排出している。
私の出した便は
どこまでめぐっているのだろうか
確かに
さっきまで
自分の中にあったものだけどなあ
確かに
一部だったんだけどなあ
それが狭い体内からでたとたん
自分とは関係ないものだと
思ってしまう
いつまでもとらわれていては
次に進めないからね。
全部に責任をもつのは
気が引ける
だけど、
以前は、私のものであった
ことだけでも自覚すれば、
ほかの人も
自分の一部を取り入れているし
私もほかの人の一部を取り入れているし、
ということを意識すれば
結局、自分は他の人の一部だし、
他人も自分の一部だと
思えば
争いって、する必要がある?
私の手と足が喧嘩する必要がある?
境界線は大切かもしれいないけれども
それ以上に、心の境界線を越えたものが存在することを
意識する方が
もっと大切だと思う。