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この映画、原題は「FROZEN」。

氷で閉ざされた世界・凍った心、ということなどの両義的な印象を与えるものだが、邦題では「アナと雪の女王」。なんとなく主人公はアナという風に感じてしまう。


もとネタである原作のことはまったく知らないが、舞台として北欧(北ヨーロッパ)を扱ったもので、光の少ない地域、太陽の照らない長い厳しい雪の季節を持った地域、峻厳な自然という条件が背景にある。


貿易都市というのは群島の意味をもつストックホルムの印象であろうか。

ともかくノルウェーで有名なフィヨルドが魔法ですべて凍りつくシーンなど、雄大な自然描写と圧倒的な氷・雪の世界の表現という意味では文句のつけようの無いすばらしい出来であった。


特に優れていたのは映画の「間」(尺)の精度。

リアリティのこもった演出が、ほぼ零コンマ数秒単位で長すぎず短すぎずのちょうどいい時間的長さで配置されている。


制作段階においてよほど議論して作りこんだのだろう。製作者が議論しながらあれもこれもとアイデアを盛り込んだ様子が想像できる。観賞する側にとっても、もちろん楽しくめまぐるしく物語りが進展していく。


最近のディズニー作品の中でも「レミー」以来、久々に再観に耐えうるものであると評価できる。(幾度もみて楽しめるものということ)



しかし、やはり、日本国内における盛り上がり(?)も念頭にあって、僕はあまのじゃくな見方をしたくなるところもある。



それは最初に述べた「閉ざされた心」の描写に関わることである。


北欧のものといえば、文学趣味のある人間には即座にイプセンやストランドベリという劇作家の文学作品が思い出される。


寒さに閉ざされた世界にそこに住む人間の精神はいやおうなしに蝕まれていく。厳しい寒さと長い白夜は人間の心を時に狂気へと誘う。


一言でいえばどうしようもない孤独・虚無といったものを人々が内心に蔵する地域であるという文学的イメージである。


このようなものを題材にし、ハリウッド映画では北欧・雪の町・猟奇殺人といったコンテキストで作られた作品は数知れない。

(インソムニア・モールス・クリムゾンリバーもそうであったか。大半はホラー)



そのような北欧地域のマイナスの面。つまり雪の女王エルサの抱えた「不安」が本作品では十分に説明されていないように思う。

姉妹関係のギクシャク、統治する者のプレッシャー、両親を失った心の傷、。そのため、もっとも有名な歌「ありのーままのー」のシーンにおいて彼女が何からふっきれて魔法を使うようになり、逆に物語の終盤で何を学び心の氷が理解したのか、の段階的表現がかなりあいまいであるようだ。


僕がこの点にこだわらねばならない理由は、女王エルサの内面的問題、そして、物語中にアナが学ぶこと=「愛」 といった二つの物語の主軸がそのままこの映画のスジ(起承転結)であるためだ。


例えば「アラジン」の様に 良い者王族 VS 悪いもの簒奪者 という見るものにとってわかりやすいストーリーではないので、その点を丁寧に描かなければ、後半に厭きがきてしまう上に、作品を見終わっての満足度合いも減ってしまう。さらにラストの印象も薄まる。


するとせっかくあれだけスタッフの凝ったディテイルも精彩を欠き、あれほど優秀な各歌のシーンにおける登場人物への感情の移入度も軽減してしまうように感じる。






ところで、トナカイが走るシーンを見て、僕は「もののけ姫」のヤックルを思い出した。


アシタカもやはり自らの身に宿った呪いを解くために、大自然の奥に分け入ったのであった。


厳しく美しい自然とそこに生きる人々の生活やその心。


魔法ですべてを自由にし、かつ、愛の力で馳駆しようとするアメリカ映画の圧倒的な想像力と創造力は、ジブリ映画のそれに比べるとだいぶエゴイスティックであるように感じてしまう。


優れたもの、映画の歌、コミカルなシーンのディテイル。それに対する全体の統一性の弱さ。そのアンバランスが「アナと雪の女王」の最大の特徴である。


雪の世界のゆったりした時間の流れ、永遠に続くかもしれない憂鬱さ、そんなものも取り入れて欲しかった。ディズニー作品から「美女と野獣」で見られた文学性が、表現技術の進歩と反比例して段々と失われていくように思う。