リストランテ・パラディーゾ
- オノ ナツメ
- リストランテ・パラディーゾ
大人しか出てこないし、悪人はいない。けれど人の心は、大人の部分と子どもの部分があるし、信じられないほど優しくなれるし、手酷い事だってする。そういう「生きている」当たり前の話なんだけど。絵も物語を損なわない、端正さ。
シャンソンの「それが生きてるってことよ、人生ってものよ」なーんて、「うわ、その単語使っちゃうんだ」と照れ照れしてしまう歌詞にも似た(フランスが舞台なワケではないけども、「人生って」とか言葉並べると、つい「シャンソン」って言いたくなるだけ←私の個人的都合)。
Double-Action モモ・バージョン
- 野上良太郎&モモタロス(佐藤健・関俊彦), 藤林聖子, LOVE+HATE
- Double-Action
ついに…購入ボタンを押してしまった……。かなりいい楽曲だということは聞いていたし、なにせ番組の音楽担当が佐橋氏だし。佐橋氏が関係してるってだけで、チェック入れるよ、ええ。と思いつつ。
山あり谷あり、漫才あり涙あり。日曜日の朝っぱらから、仮面ライダーで喜怒哀楽まとめて喚起されまくり。
平成に入って来、特撮という分野が侮れないことは重々承知してた。一年間という放映期間の長さで、ひとつの物語を組む、というドラマ性において、3ヶ月クールのドラマが敵うわけがない。3ヶ月経過したところで、登場人物のプロフィールや世界観が視聴者に提示される、って辺り。そしてそこから「ドラマ」が展開されるんだから、「お約束」に甘えたつくり、原作あるんだから知ってるでしょ、的展開ドラマとは、造り込みが違う。
そしてやはり「極端な状況」というのは、物語を構成するのに有効だ。と、いうようなことを感じたりしてたんだけど。
今年のライダーはアソートっていうか、お子様ランチっていうか。とにかく笑えて感心できて泣ける。家人にテレビッ子はいない(いません。映像より文字派揃い)んだけど、皆日曜日の朝を楽しみにしてる。特にモモ。
近年、イケメンなんちゃらってことで、若手男優諸氏の登竜門みたくなってるそうだけど。今年の主人公は、演技力の卓越さに感心させられる。史上最弱とか言われてるけど、近来稀にみる演技力。
ラジオ出演した際、インタを聞いてみた。賢い。やっぱ賢さがあの演技を支えてるんだなあ。小手先じゃない。
で、人気炸裂がモモ。モモだ。番組録画して、贔屓の俳優さんの登場シーンだけを編集する、なんてことを(弓削さんに関しては)するんだけど。モモだな。モモが画面に出てきたり、セリフ入れたりしてる場面確保!
ってことで、モモ・セリフ・バージョンがおまけにあるCD。でもどうなのそれって、と迷ってたんだけど。前述のラジオで、とっかかりだけ聴いて、楽曲単独でかなり出来がいいのにビックリ。 すみません、正直侮ってました。降参。
フリーター漂流
- 松宮 健一
- フリーター漂流
暮らす以前に「生きる」、その為に働くのが常態になった「わかりやすい」きっかけは、ローンやキャッシングというシステムの発明及び定着だ。とは江戸の社会学の本に出てきた一文なのだけれど。
「身の丈ほど」の消費は、このシステムが無ければ、破綻しなかったはず、という論法。熊さんや八さんが、博打でこさえた借金をどうにかするためにお金を借りる、とか。裏長屋の誰それが、どうしてもおとっつぁんにいい薬を飲ませてあげたくて、とか。あ~、豪勢な岡場所遊びや、身請け騒動っていうのもあるか。つまり無かったわけではない。けれど常態でもない。
即金で払えなければ、車を買うこともないし、不動産に手も出せない、という「払えるほど」の身の丈。
そういったことだけが要因子ではないだろうけど。「国際競争」における経費削減は人件費の大きな日本(やアメリカ)にとって、通貨価値の異なる海外へのアウトソーシングという壁もあり(これだけじゃないそうですが、よくわかんない)「この国の人間を労働力とする」場合の条件が厳しくなる動機を孕んでいる。
若い世代の「根拠のない未来への過信」は、行き先にリカバリー不可という落とし穴がある道への、足元しか照らさない小さな明かり。その明かりがいかに何も照らしていないかを知るのは、「その時」になってから。キビシイ。でもこれが現実だ。
「夢」を持つのは、悪いことでも否定されるようなことでもない。だがその「夢」が明確であり、その実現のために必須とされる能力とスキルを正確に認識しているか。そしてその獲得のための努力をしているか、あるいは能力とスキルを現実のものとして既に確保しているか。甘くないのだ、「時間」は。「社会」も甘くはないが、どちらかというと甘くないのは「時間」のような気がする。自己責任という意味ではない。既にそのステージを越えた問題になっている。
解決しなくてはならない社会的問題もある。が、現実に今まさに、どういう状況なのか。
自分に合った何か、ではダメだ。自分に向いてる仕事、でも。具体性を求められている。そして他者に自分という存在を認識させ認知させるには、「オンリーワン」のスキルを既に持っていなくてはならない。社会は待ってくれない。
現実は厳しく、怖い。だから目を背けていたくなる。けれど「時」は容赦なく過ぎる。
科学忍者隊ガッチャマン
- コロムビアミュージックエンタテインメント
- 科学忍者隊ガッチャマン COMPLETE DVD BOX
LD持ってたけど、再生機がオシャカになって来、お蔵入り。DVD欲しいと思いながらなかなかこれが。全話わかってるっちゃ、わかってるもんだから。誤解を恐れず敢えて言えば「清く正しく美しい正義の味方!」の基本形っていうか。5人組だし(それなりに深い発言)。
スナックJUNのママであるジュンが、18才設定だったり、よ~く考えると相当無茶やってる(蕎麦の食い逃げしてたのは、また数年後の企画モノ。 食い逃げされた蕎麦屋のオヤジは、引退したボヤッキー)。
昨年か一昨年、欧州での実写版の企画が持ち上がったって話があった。どうなったんだか。フランス5は自主制作か。今回実現しそうな実写版企画は『ヤッターマン』シリーズだそうだけど、ドロンジョの素敵さは、ベルクカッツェが下敷きになってるからこそ。やっぱガッチャマンは押さえないと!
ガッチャマン実写版は、NTT東日本による「すまっぷ」版がある。あれは傑作だった。あの連作来、古いアニメの実写化が加速したと言っても過言ではありますまい。めっちゃ格好良かった、すまっぷガッチャマン@渋谷。何度でも言う、傑作だった!
そしてポテンヒットのフリして、ランニングホームランな「ガッチャピン」。素敵だ。