そんな言葉が現実になるのだろうか。
2016年6月24日、英国で行われた国民投票でEU離脱が過半数を占めた。結果は52%対48%と僅差だったが、まさかのショックだった。確かにそれまでの事前調査で、離脱派が過半数を超えてはいたが、それでも最終的に残留派が上回るだろうと思っていた。
BBCでは結果を受けて、離脱派の先鋒、イギリス独立党党首、欧州議会議員を4期務めたナイジェル・ファラージ氏が、英国国会議事堂にそびえる「ビッグベン」前で「インディペンデンス・デイ(Independence day)」と勝ち誇り「これで英国はEUから主権を取り戻た。政治家は金持ち過ぎて、EU移民の流入によって人々の生活がどんなふうに変わったのかを理解できていない。この移民問題が最後は決め手となった。勝利を心から喜んでいる」とほぼ独演会状態でインタビューに答えていた。ただ、このニュースを伝えるスタジオは暗い雰囲気に包まれ、これから英国はどうなるのか、なぜこうなったのかという話に終始し、EUから英国が離脱してうまくやっていくことの難しさを深く知るニュースセンタースタッフの悲しみが、もともと暗い画面が基本のBBCスタジオと相まって伝わってくるようだった。
次の英国首相候補の一番手と思われる、議会内第一党、保守党議員の中での離脱派のリーダー、ボリス・ジョンソン、ロンドン前市長が議事堂(党本部かもしれないが)から出てきたときには、EU残留派が70%を超えるロンドン市民からブーイングの嵐を受けていた。
今回の国民投票を地域別でみると、残留派が上回ったのは、イングランドに限ればロンドンの周辺地域や南部の都市ブライトン、エクセター、サウスハンプトン(北部地域のみ)、北部都市のヨーク、マンチェスター、リバプールなど都市部のみだった。
ただ、スコットランド、北部アイルランドは残留派が上回り、スコットランドに至ってはほぼ全域残留派で、70%を超える地域も少なくなかった。
英国のもう一つの地域、ウェールズはほぼ離脱派が占めた。つまり、イングランド、ウェールズの離脱派がスコットランド、北部アイルランドの残留派を抑えた形となった。
英国を表す時に、イギリス、UK、GB、ブリテン、大英帝国など様々なものがあって、それぞれ意味や指すものが違うのだけれど、英国の正式な名称は、ユナイテッド・キングダム・オブ・グレートブリテン・アンド・ノーザン・アイルランド(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)で、英国国連代表のプレートは、頭のユナイテッド・キングダムをとってUKとなっている。日本語訳的な正式名称は、グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国。
連合王国ということで、英国は歴史的に昔、独立国として存在していたイングランド、ウェールズ、スコットランド、そして北部アイルランドが連合して国を形成している。もちろん連合王国になるまでには長い戦いの歴史があり、ほぼイングランドが他の国を支配したといってもいい。
例えば、プリンス・オブ・ウェールズは、英国の皇太子に与えられる称号だけれど、これは
1282年に時のイングランド王、エドワード1世がウェールズを占領したとき、皇太子にウェールズの支配を任せたことから続いているものだし、この王の時期、イングランドはスコットランド、フランスと戦いに明け暮れ、フランスとはこの後の100年戦争へと続いている。
エドワード1世のスコットランド侵攻とその圧政に対する民衆の抵抗運動は、ハリウッド映画「ブレイブハート」にも描かれている。
この映画の主人公「ウィリアム・ウォレス」(実在の人物)が抵抗運動に立ち上がるきっかけとなった、「結婚した花嫁の初夜の権利を、その土地を支配しているイングランド貴族の男たちに与える」という非人間的な法律に代表されるように、まさに圧政だったようだ。
その後紆余曲折をへてスコットランドは1318年には実質的独立を達成し、1328年になってイングランドとの和約も成立した。日本では鎌倉時代末期に当たる。
近世に入り、スコットランド王がイングランドの王位を継承し、ロンドンのウェストミンスター城へ行ったっきりイングランドから帰ってこなくなったり、植民地経営で莫大な富を得ていたイングランドに貿易を邪魔されるなどの紆余曲折を経て、1707年1月スコットランドはイングランドとの連合法に同意して議会を解散し、グレートブリテン王国(Kingdom of Great Britain)が成立する。それから約290年後の1997年、スコットランド出身の首相トニー・ブレアによる国民投
票でスコットランド議会はようやく復活することとなる。
ちなみに1707年といえば、日本の元号で江戸時代の宝永4年。この年の10月東南海地震(宝永の大地震)が起き、11月富士山が史上最後の大噴火を起こした年でもある。
その後グレートブリテン王国は、実効支配していた全アイルランドを併合して1801年、UK(United Kingdom of Great Britain and Ireland)グレートブリテン及びアイルランド連合王国になるが、第1次大戦後に約2年半のアイルランド独立戦争が起き、紆余曲折を経て、北部6州がUKにとどまり、南部がアイルランドとして独立した。
現在のUK、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国
になったのだ。1927年、日本の元号でいう、昭和2年のこの年、BBCが設立され、英政府は中国への派兵を決定している。
しかし、第2次大戦が終わると、アイルランド統一を巡って、悪名高きIRA暫定派というテロ組織が1969年からなんと1996年に休戦するまでの26年あまりの間、英国内や、欧州、カナダ、オーストラリアで、自爆テロを含むテロや狙撃を続けた。現在テロや移民問題で揺れるEUだが、ちょっと前まで、欧州でテロといえば英国だったのだ。
英国はとても寒い。今では地球温暖化で英国も暑くなっているようだが、それでも日差しの強さが圧倒的に違う。私が住んでいた15年ほど前は、夏と呼べる暑さの日は1週間程度しかなく、しかも夜は寒く、半袖で過ごすのは難しかった。古いロンドンバスが現役で走っていたが、あのバスには冷房がなかったし、暑くなる2階部分でも、前方の窓を開ければ十分だった。むしろ気持ちよかった。
いたるところに芝の公園があり、手入れをしている人の姿をあまり見ないのに、雑草もなく綺麗になっていて芝も柔らかいので、横になるには最高だった。
英国の本土グレートブリテン島は、中北部の山を除きほぼ平坦な島で、スコットランドにある最高峰の山ベン・ネビス山でも1344m。日本と違って住める場所はたくさんあるのだが、緯度が高くて寒く、水はけがよすぎるので土地も肥沃とはいえないようだ。英国の田舎へ行くと、木がぽつぽつと生えている中、いたるところで、羊の放牧が行われている。
これが、フランスへ行くと事情が変わってくる。英国からフランス南部のニースあたりに出かけると、あまりの暖かさと過ごしやすさに驚いてしまう。「ニース(Nice)」が「ナイス(nice)」の語源だというのもよくわかるし、フランスが農業大国なのもうなずける。深くは分からないが土壌も違うのだろう。
つまり英国は、貿易をしないと生きてゆけない国なのだ。特にスコットランドやアイルランドは貿易が命綱で、スコットランドはそこをイングランドに付け込まれて連合に同意したのだし、アイルランドもイングランドの妨害による飢饉によって、アメリカへの移住者を多数出したという歴史がある。
日本も同じではあるけど、曲がりなりにも300年もの間、ある程度の文化を保ちながら鎖国して生活できる島国とは貿易に対する切迫度が少し違うようだ。
さらに、イングランド人とスコットランド人はお互い、同じ国の人とは思っていないようで、私もイングランド人の家庭の子供に何気に「外国はどこへ行ったことがあるの」と聞いたところ、
「フランス・イタリア・ベルギー・スコットランド、あとUSA」と答えが返ってきて驚いたことがある。「スコットランドは国内だろ。パスポートがいらないだろ」というと「でも違う国だもん」と言われてしまった。彼のおばあさんも、テレビを見ていてスコットランドの人が喋っていると「この言葉わかる?私には60%くらいしか分からないわ」と言っていた。
金融面でも、スコットランド銀行と他に2行が、中央銀行ではないが紙幣の発行権を持っていて、ロンドンとはデザインの違うポンド札が流通している。
余談だが、2002年1月1日の共通通貨ユーロ導入時、私はオーストリアから、ドイツを経由してオランダ、スコットランドを旅していた。そして、ある日突然、両替の煩雑さや、使えない小銭の山から突然解放されたとき、通貨が共通になるということの便利さに驚いたものだった。さらにそれで戦争の危険が少しでも回避されるなら欧州大陸では、金融政策の一部主権を放棄してでも導入する価値があることを痛感した瞬間だった。
国民投票で残留派が圧倒的に多かったスコットランドの動きは速かった。英国国民投票結果が「離脱」と決まった日、スコットランド自治政府の首相でスコットランド国民党の二コラ・スタージョン(Nicola Sturgeon)氏はその日の午前中に記者会見し、スコットランドはEU残留に向けて全力で努力するとして、2014年に行われ否決されたスコットランド独立住民投票の再度実施に向け閣僚とその法的準備をする発表とした。
彼女の静かに落ち着いた言葉の中には、強い意志があるように感じられた。スコットランドの住民投票にはイングランド議会の同意が必要で簡単に事は運ばないが、多分投票となれば独立派が圧倒すると私は予想している。
ただ、驚いたことに米国CNNは頭からライブ放送したにも関わらず、英国BBCの国際映像は、この記者会見をライブで放送せず、キャメロン首相かボリス・ジョンソン氏が出てくるのをひたすら待つ映像を流し続けた。
スコットランド首相の会見後、かなり経った後、首相官邸から妻と共にようやく出てきた英国キャメロン首相は、官邸前に用意された簡単なマイクに向かって、首相辞任の会見を開いた。
会見では、英国は、国益を守ることを優先してゆく。しばらくは国という船を安定させるため自分が努舵をとるが、今後は新しい首相が舵をとるべきだ。と語っていたが、どこかもう諦めた感じだった。質疑応答もなかった。別の場所では、イングランド銀行総裁が会見し、市場安定化の為あらゆる方策をとるとした。
CNNは、EU各国の反応を伝えた。ドイツ首相・フランス大統領の公式見解は、総じて「残念だ」というコメントを表明していた。ただ、オランダの外交官だったと思うが、彼は「英国が自身で言っているように、我々も自国の利益を最優先事項としてゆく。」と冷たく答えていた。
EUにとっては、EU圏内で2位の経済規模の国で、しかも、英国の租税回避地(タックスヘイブン)をうまく活用し、巨額のマネーを表に引き出してEU圏内に投資してくれているロンドンのCITYが圏外に行ってしまうということはかなりの痛手だろう。
だが、自国の利益を最優先事項として何かと意見の合わない英国、特にイングランドが出ていくことにホッとしている人々がいるのも事実だと私は思う。混乱を避けるため英国を早めに切り離そうという意見もあるようだ。EUの公用語から英語も外されるかもしれないし、そうなれば、BBCやCNNの取材に英語で答えない人が増えるかもしれない。聞きにくい同時通訳を介さなければならない欧州の政治ニュースに、米国の市民の関心も少し離れてしまうだろう。
EUの前身EC(ヨーロッパ共同体)が6か国から12か国になるとき、フランスは英国の参加に最後まで「ノン」と言い続けた。そして、2002年共通通貨ユーロの導入も英国は拒否している。
第二次湾岸戦争でも意見が合わなかったし、ウクライナ問題でのロシアへの制裁も英国とドイツ・フランスの意見は食い違いを見せている。
さらにスペインは英国と地中海の要衝ジブラルタルの領有権を争っていて、以前住民投票によって英国への帰属となっていたが、今回の投票でジブラルタル住民の意志はEU残留派がほぼ100%だった。
ここからは私的予想だけれども、スコットランドが独立してでもEUに残りたいと言い、住民投票が仮に行われ、独立派が勝った場合、EUは、特別処置を与えてでもスムーズに残留させるような気がする。
その方が以下の理由によってEUにとって利益が大きいように思う。
1.EUの経済規模の減少を最小に抑えることができる。
2.英国を解体に追い込み、スコットランドを救うことができる。
3.イングランドとの経済交流を持続できる。
4.イングランドとスコットランドの経済が仮に逆転した場合、今後EU内で独立しようとする地域へのけん制となる。
ただ今後、アイルランドと北アイルランドの国境がEUとEU圏外の境となる、アイルランド情勢がどうなるのか、ウェールズでも独立機運が生まれていること、イングランドが独立を認めない動きに出た場合の各地域、各国の対応、イングランドと中国のFTAの可能性、英国連邦の他の国々の動向など、この2~3年の欧州各国、各地域と、中国、ロシア、米国の出方により、世界がガラッと変わってしまうかもしれず、それは必ずアジアへも波及するのは間違いなさそうである。
最後に、私は英国が大好きなのだ。あの柔らかい芝、実はとても優しい人々、公共交通機関はボロボロで遅れまくるがそれをごく普通にやり過ごせる人の心、効率よりも古いものを大切にしようとするところ、作り笑いのない店員、女王や皇太子の顔写真のコラージュのあふれる街、静かな田舎街にある、まずい食べ物屋。すべてが大好きだった。特に、EUの規制により、あの古いロンドンバスがなくなると聞いた時は、ショックだったしそんなとこまでと思った。
EU残留派の人々はみな、これが民主主義で尊重しなければならないと口をそろえて言う。
確かにそうだし、だからこそ英国が好きなのだけれど、それでも、もう遅いけれども再投票をするなどEUに残留できるよう最大限の努力をしてほしいと思う。
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