Without music, I'm nothing at all.

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全国保養所巡りの旅。

 

旅の行程

 

2025.12.16 出発
2025.12.17 タシケント着
2025.12.18 夜行列車にてウルゲンチ→ヒヴァへ
2025.12.19 ヒヴァ着
2025.12.20 シャバット国境よりトルクメニスタン入国
2025.12.21 ダルヴァザ→アシガバート
2025.12.22 アシガバードト→メルヴ遺跡→ファラップ国境よりウズベキスタンへ出国
2025.12.23 ブハラからサマルカンドへ移動
2025.12.24 サマルカンドからタシケント→空港
2025.12.25 日本帰国

 

12.22 メルヴ遺跡からウズベキスタンへ

翌朝は7:00出発だったので、6:30に朝食。

朝食食べてからすぐ出発なのがお腹的に心配。

ここでも目玉焼きとゆで卵で卵は2つ。

このサラミのようなソーセージが実は美味しい。

お茶はポットで来ていて、飲みまくっていたら

ヨーグルトを食べる暇がなく持ち出した。

白い系は全部チーズかと思ったら真ん中はバターで、

この量のバターを小さなパンに塗り切れるわけもなく。

バター食べる文化なのかな?野菜につけたら良かったかな。

外に出るとまだ暗かったのだけれど、

資源大国なので、建物がどこも明るい。

マリィの街までに何度か車を乗り換えて、

中央アジア最大のオアシス都市の遺跡、メルヴ遺跡へ。

ギズ・カラ。波状の壁をはじめ城塞を守る工夫が多くされている。

実際難攻不落だったらしい。

アスハブ廟。

7世紀にトルクメニスタンにイスラム教を布教した聖人の霊廟。

近くにある貯水用の建物。

水が豊富だからモンゴルに攻められたとか。

頑丈な柵で見づらかったけれど、中には水が蓄えられていた。

ソルターン・サンジャル廟。

建物はモンゴル軍の襲来に耐えたものの、

墓自体は暴かれた模様。言い切れるわけではないので、

その説もあるということになっている。

モスクの天井は綺麗なので撮ってしまう。

時間がないので、駆け足で見たけれど、

ものすごく広大な敷地なので、一泊して見た方が良いと思う。

 

その後、途中でランチを食した。

メニューが読めないので、スープが欲しいとだけガイドに伝えて

頼んでもらった。

なんかヌードル入りのスープと

チキンとビーフのバーベキュー。

付け合わせはパン。

トルクメニスタンはご飯がどれもおいしい。

スープは若干トムヤンクン的なすっぱ辛い感じでした。

ここからは一路Farap国境へ。

途中、アムダリア川を越えたので車内から写真を取ったけれど、

うまく撮れなかった…。

国境には17:00過ぎくらいに着き、

最初のバス(5マナト)は割とすぐ出たのだけれど、

荷物検査が動いておらず、郷に入ったので、

ツーリストだから通って良いか聞いたら、

20分ぐらい待って私だけ通してもらった。

そしてまたバスに乗るけれど、バスが発車しない。

そこでまた20分ぐらい待って5マナトを払う。

そしてウズベキスタン側に入ってバスを待つ。

ファラップ国境バス多すぎ問題。5,000スム払って

なんかよく分からない通路を歩き、辿り着いたところで

パスポートを見せ、また歩き、荷物検査の後、イミグレ。

夕方だからか誰もヤル気がなく待たされ、

ウズベク側に出たのは18:00を過ぎていた。

 

あたりを見回しても、予約していたはずの車がいない。

17:00に予約していたので帰ってしまわないように

前日ガイドの電話から電話していたのだが、

ドライバーはネームプレートを持って待ってるから大丈夫と言われ、

ほっとしていたのに…!もう暗いし、Yandex Goも使えないし、

乗合タクシーももういない。どうしたものかと思っていたら、

ドライバーが来た。寒くて車の中で待っていたとのこと。

事前に予約していてもこんなに心配なのに、

行き当たりばったりでタクシー捕まえようとしなくて良かった。

 

18:00に乗車し、ホテルに着いたのは20:00ごろ。

24時間フロントと書いてあったものの、誰もおらず。

息子が対応してくれた。

ここはロシア系の家族経営っぽくて、

英語はGoogle翻訳に向かって喋らされた。

なんか、だったら日本語にしてほしい…。勉強になるからいいけど。

ウズベキスタンはヒヴァのホテル以降歯磨きセットがなくて、

ヒヴァで使ったものを持って来ていて良かったと思った次第。

まぁ、別に買えば良いのだけれど。

 

旅の最大の目的、トルクメニスタンを満喫したので、

この後は消化試合みたいな気分になってしまったのも事実。

この日も疲れたのでシャワーを浴びてお茶を飲んで就寝。

 

 

 

 

 

 

 

旅の行程

 

2025.12.16 出発
2025.12.17 タシケント着
2025.12.18 夜行列車にてウルゲンチ→ヒヴァへ
2025.12.19 ヒヴァ着
2025.12.20 シャバット国境よりトルクメニスタン入国
2025.12.21 ダルヴァザ→アシガバート
2025.12.22 アシガバードト→メルヴ遺跡→ファラップ国境よりウズベキスタンへ出国
2025.12.23 ブハラからサマルカンドへ移動
2025.12.24 サマルカンドからタシケント→空港
2025.12.25 日本帰国

 

12.21 White Marble City、アシガバート

 

朝7:00に起床して、朝食をいただく。

ウズベキスタンもトルクメニスタンもとにかく朝は卵が出される。

ここは目玉焼き3つも出されて、良いのか、こんなに食べて。

食べ終わったらすぐに圧巻の白い大理石の街、アシガバートへ出発。

ドライバーさんはアシガバート手前まで悪路を運転してくれた。

途中で水のクレーターにも寄ってくれた。

地獄の門と同じガスが出ていて、ここもいつ崩れるか不明とのこと。

よく見るとガスが湧いているのが見える。

 

これから向かう首都、アシガバートは、白、金、銀の車で、かつ

首都を走るものとして登録されている車でなくては

走ってはいけないという決まりだそう。

渋滞を起こさないためには効果的だと思うけれども、

こういうところに少し異様さを感じてしまうのも事実。

真っ白な街。白か金、緑で統一された街。

郊外のインフラの様子からは考えられないぐらい完璧な街。

白大理石は以前はイタリアから輸入していたが、

今は国内で生産しているとか。

ここも東京のように、全国から若者が上京してくるのだろうか。

まず、旅行会社に行ってツアー代金を支払い、

長旅かつ風呂にはいっていないため、ホテルで小休止。

その後、市内観光前にランチでプロフを食べた。

なんか、すごく雰囲気の良いレストランだった。

トルクメニスタンのプロフは本当においしかった。

そして、ものすごくお腹いっぱいになったので、

この日の夕飯はスキップした(ガイドも満腹と言っていた)。

市内観光の一発目は中央アジア最大のモスク。

初代大統領のニヤゾフ氏が、私財で建てたと言っていた。

ニヤゾフ氏と家族は霊廟に埋葬されていて、撮影はダメとのこと。

モスクは天井が綺麗。

1階が男性、2階が女性の礼拝所となっている。

中立の塔。

1995年に永世中立国になったことを記念して95mの塔を建てた。

画像とかで見るのは青い部分が金色なのだけれど、

いつ青くなったのだろう。ガイドの説明にはなかった。

wikiで見ると、ニヤゾフ氏の個人崇拝色を払拭すべく、

移転されたと書いてあったので、その時だろうか。

エレベーターで展望台に上がれる仕組みだったのだけれど、

天気が悪く霧がすごかったので上るのをやめておいた。

レーニン像。

ニヤゾフ氏の黄金の像なんかもそうだけれど、

他国では体制が崩れた時に壊してしまうようなものも、

負の歴史を知らない次世代が学び、繰り返さないように、

トルクメニスタンは残しておく、そして、発展していくのだ

と言っていたガイドの言葉が印象的だった。

遊園地はクリスマスムード一色。ムスリム国家なのに。

クリスマスツリーには、トルクメン語で

あけましておめでとう的な言葉が書いてあった。

なお、写真を撮るとお金を取られるサンタがいたのだけれど、

サンタも赤ではなく白の衣装だった。徹底している。

高台には高級ホテルがあったり、

こんな結婚式場があったり。

トルクメニスタンでは地域ごとに結婚式場があって

住民はそこで結婚式を挙げるとのこと。

ここからの夜景はとても綺麗(霧で見づらいけれど)。

この日は昼食のプロフでお腹いっぱいだったので、

ショッピングセンターのスーパーで食べ物を買って

ホテルに戻った(おそらくガイドも帰りたかった)。

モール前にも建国30周年のモニュメントが。

街中の至る所で建国30周年を祝っていた。

翌日は6:30朝食、7:00出発のためシャワー後すぐ就寝。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

旅の行程

 

2025.12.16 出発
2025.12.17 タシケント着
2025.12.18 夜行列車にてウルゲンチ→ヒヴァへ
2025.12.19 ヒヴァ着
2025.12.20 シャバット国境よりトルクメニスタン入国
2025.12.21 ダルヴァザ→アシガバード
2025.12.22 アシガバード→メルヴ遺跡→ファラップ国境よりウズベキスタンへ出国
2025.12.23 ブハラからサマルカンドへ移動
2025.12.24 サマルカンドからタシケント→空港
2025.12.25 日本帰国

 

 

 

12.20 トルクメニスタン入国

国境は写真を撮ってはいけないという情報を入れていたので、

写真はなし。国境越えをする人のために手順を書くと、

まず、ウズベキスタン側の門が9:00に空き、

少し歩いた先の建物で出国手続きをします。

ここは簡単にスタンプを押されるだけなのですが、

この日はウズベキスタンで学ぶトルクメニスタン人の学生の

里帰りの日と被ったとのことで長蛇の列。

列というか、並ぶという概念がないので、人だかり。

私も郷に入っては郷に従おうということでわれ先にと行くも、

イミグレまで行くのに1時間ぐらいかかるカオスっぷり。

出国スタンプを押したらしばらく歩いた先にまた門があって

そこが全然開かない。人で見えないので良くわからないが、

おそらくバスに乗ってトルクメニスタン側に行く模様。

そのバスに乗るための門が全然開かない…。

ガイドからWhatsAppsでもう国境にいるのかどうか連絡があり、

バスドライバーにTouristだと言えという連絡が。

でもそんな状況ではないというか、バスまで辿り着けない。

しばらくすると、門の警備?の兵士がTouristがいるかと叫ぶ。

周りの子供達(多分)がお前はTouristかと聞いてきたので、

そうでーす!と言って人をかき分けて進もうとするも全然進めず。

その次のバスに乗り込むことはできたがそのバスもぎゅうぎゅう。

隣に座ったトルクメニスタン人だかウズベキスタン人だかが

Touristか、そうかそうか、みたいな感じで話しかけてくれた。

ウズベクもトルクメンも人はみんなやさしい。

バスを降りる際に5,000UZSを払ってトルクメン側に行くも

そこも人だかりでよくわからない。

トルクメニスタンの学生たちが彼女はTouristだと言ってくれるが、

兵士もよくわかっておらず、ビザの窓口に並ばされた。

すると、救世主、ガイドのBahtiyarさんが登場。

 

トルクメニスタンは、ガイド同行でないと旅行ができない国なので、

VISAを取得するためには、まず現地の旅行会社でツアーを

探さなくてはいけない(日本の旅行会社でもできるのかな)。

色々な旅行会社があって、国営の会社が安心とか色々情報はあれど、

どこも3日で1,000USDとか850USDとか高いんですよ。

なので、私はIndyGuideというサイトで一番ちゃんとした

メッセージをくれたPermanさんの会社に決めました。

旅程が少し無茶な感じがしたものの、行きたいところに行けそうで、

何よりも、590USDというafordableな値段だったので。

Permanさんの旅行会社のサイトはここ。IndyGuideを経由しない方が安いのかな?

ツアー内容は結構融通利かせてくれる感じ。基本WhatsAppsで連絡を取る。

とにかくLetter of Invitationの取得に時間がかかった(運による)。

 

国境通過の話に戻り、Bahtiyarさんが登場した際、

私がめちゃくちゃ安堵した顔をしたようで、隣の女の子に笑われた。

ガイドが到着してからは、彼が全てをハンドリングしてくれて、

私がしたのは、VISAやCOVID検査代、入国税など全てひっくるめて

80USDを払っただけ(100USD払ってドルでお釣りを貰えた)。

いやー、ここまで来るのは大変だったけど、

Bahtiyarさんのおかげでその後はスムーズに進み、

国境通過にかかった時間は3時間ほど。普段は1時間ぐらいらしい。

本来はクニャウルゲンチに行く予定だったものの、

時間がないということで、ダショグスでランチを食べ、

その後、代わりにダショグス地方の博物館に行くことにした。

クニャウルゲンチもあまり時間は取れないと思っていたので、

これで良かったのかもしれない。

ランチはTraditional Turkmen foodということで、

牛肉と野菜をパイで包んだものと、

牛肩を長時間煮込んだスープに野菜を入れたもの

を食べた。私にとってはウズベキスタンより食が合う。

スープが本当に美味しかった。寒かったからというのもあるのかな。

スプーンが独特で牛肉をほぼ食べられなかったけれど、

出汁としての肉なので、食べないものなのかもしれない。

なぜなら、ガイドもドライバーもあんまり食べてなかった。

お腹を満たした後は、急遽決まった博物館へ。

トルクメニスタンの歴史や文化、農産物などいろいろな展示があり、

とても興味深かった。

国旗にある5つの模様は、5つの地域を表しているとのこと。

私、実は大統領が変わったことを知らず、

一代前の、歌が好きな大統領しか知らなかったのですが、

息子に代わっていました。選挙で選ばれたと言っていた。

私は泊まれなかったけれど、実物大のユルタがあったり。

天井が白いのは夏用で、冬用は天井が黒いそう。

寒さと暑さに対応しているとか。人類の知恵ですね。

トルクメニスタンでは、未婚の女性はスカーフなし、

結婚するとスカーフを巻き、何だっけ、子供生まれると

口元も隠すとか、段階を踏んで隠していく感じでした。

口元を隠すタイミングはちょっと忘れてしまった。

写真は撮れなかったけど、女子学生の制服が

緑色のロングスカートでかわいかったな。

 

そしてここからは地獄の門に向けて走ること3、4時間ぐらいかな。

途中から道がボッコボコになり、野良らくだもいたり。

まさに、Highway to Hellという感じ。

そして地獄の門に着いた時は18:00過ぎぐらいだったけれど、

もう真っ暗だったのでした。

ちなみに、トルクメニスタンではShine of Karakumという

名でも呼ばれているらしく、そっちの方が綺麗で良い。

まぁ、旧ソ連が残した負の遺産ではあるけれども。

全体像は動画でしか撮れないので臨場感のない画像で。

火自体は減っているものの、新たな火が出現したり、

誰にも、いつ崩れるのか、どこから新たなガスが出てくるのか

わからないのだとか。

この後、宿に戻って夕飯を食べるのだけれど、

ユルタに泊まると思っていたら、私が女性一人だからか、

この寒さでのユルタ泊はひどい思い出になってしまうと、

トラックドライバー用に新しくできた宿に泊めてもらった。

なので、夜に起きて歩いて火のところに行くことはできなかった。

そのためにライトを持って来ていたのだけれど、

暖かい所で寝られたし、トイレも綺麗だったので良かった。

夕飯はまた、牛肉を煮込んだスープと牛のバーベキュー。

肉はウズベキスタンのシャシリクみたいなもんかな?

本当にこのスープおいしいのだけど。

トルクメニスタンはご飯がおいしい。

ご飯が美味しい国は良い国です(断言)。

ちなみにこの日の部屋はこんな感じ(荷物散乱失礼)。

ゴミ箱とか何もなくてちょっと困ったけれども、

暖かくして寝られるというのは幸せなことです。

明日は7:00に朝食、8:00に出発なので、21:00には就寝。