Without music, I'm nothing at all.

Without music, I'm nothing at all.

全国保養所巡りの旅。

 

旅の行程

 

2025.12.16 出発
2025.12.17 タシケント着
2025.12.18 夜行列車にてウルゲンチ→ヒヴァへ
2025.12.19 ヒヴァ着
2025.12.20 シャバット国境よりトルクメニスタン入国
2025.12.21 ダルヴァザ→アシガバート
2025.12.22 アシガバードト→メルヴ遺跡→ファラップ国境よりウズベキスタンへ出国
2025.12.23 ブハラからサマルカンドへ移動
2025.12.24 サマルカンドからタシケント→空港
2025.12.25 日本帰国

 

12.21 White Marble City、アシガバート

 

朝7:00に起床して、朝食をいただく。

ウズベキスタンもトルクメニスタンもとにかく朝は卵が出される。

ここは目玉焼き3つも出されて、良いのか、こんなに食べて。

食べ終わったらすぐに圧巻の白い大理石の街、アシガバートへ出発。

ドライバーさんはアシガバート手前まで悪路を運転してくれた。

途中で水のクレーターにも寄ってくれた。

地獄の門と同じガスが出ていて、ここもいつ崩れるか不明とのこと。

よく見るとガスが湧いているのが見える。

 

これから向かう首都、アシガバートは、白、金、銀の車で、かつ

首都を走るものとして登録されている車でなくては

走ってはいけないという決まりだそう。

渋滞を起こさないためには効果的だと思うけれども、

こういうところに少し異様さを感じてしまうのも事実。

真っ白な街。白か金、緑で統一された街。

郊外のインフラの様子からは考えられないぐらい完璧な街。

白大理石は以前はイタリアから輸入していたが、

今は国内で生産しているとか。

ここも東京のように、全国から若者が上京してくるのだろうか。

まず、旅行会社に行ってツアー代金を支払い、

長旅かつ風呂にはいっていないため、ホテルで小休止。

その後、市内観光前にランチでプロフを食べた。

なんか、すごく雰囲気の良いレストランだった。

トルクメニスタンのプロフは本当においしかった。

そして、ものすごくお腹いっぱいになったので、

この日の夕飯はスキップした(ガイドも満腹と言っていた)。

市内観光の一発目は中央アジア最大のモスク。

初代大統領のニヤゾフ氏が、私財で建てたと言っていた。

ニヤゾフ氏と家族は霊廟に埋葬されていて、撮影はダメとのこと。

モスクは天井が綺麗。

1階が男性、2階が女性の礼拝所となっている。

中立の塔。

1995年に永世中立国になったことを記念して95mの塔を建てた。

画像とかで見るのは青い部分が金色なのだけれど、

いつ青くなったのだろう。ガイドの説明にはなかった。

wikiで見ると、ニヤゾフ氏の個人崇拝色を払拭すべく、

移転されたと書いてあったので、その時だろうか。

エレベーターで展望台に上がれる仕組みだったのだけれど、

天気が悪く霧がすごかったので上るのをやめておいた。

レーニン像。

ニヤゾフ氏の黄金の像なんかもそうだけれど、

他国では体制が崩れた時に壊してしまうようなものも、

負の歴史を知らない次世代が学び、繰り返さないように、

トルクメニスタンは残しておく、そして、発展していくのだ

と言っていたガイドの言葉が印象的だった。

遊園地はクリスマスムード一色。ムスリム国家なのに。

クリスマスツリーには、トルクメン語で

あけましておめでとう的な言葉が書いてあった。

なお、写真を撮るとお金を取られるサンタがいたのだけれど、

サンタも赤ではなく白の衣装だった。徹底している。

高台には高級ホテルがあったり、

こんな結婚式場があったり。

トルクメニスタンでは地域ごとに結婚式場があって

住民はそこで結婚式を挙げるとのこと。

ここからの夜景はとても綺麗(霧で見づらいけれど)。

この日は昼食のプロフでお腹いっぱいだったので、

ショッピングセンターのスーパーで食べ物を買って

ホテルに戻った(おそらくガイドも帰りたかった)。

モール前にも建国30周年のモニュメントが。

街中の至る所で建国30周年を祝っていた。

翌日は6:30朝食、7:00出発のためシャワー後すぐ就寝。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

旅の行程

 

2025.12.16 出発
2025.12.17 タシケント着
2025.12.18 夜行列車にてウルゲンチ→ヒヴァへ
2025.12.19 ヒヴァ着
2025.12.20 シャバット国境よりトルクメニスタン入国
2025.12.21 ダルヴァザ→アシガバード
2025.12.22 アシガバード→メルヴ遺跡→ファラップ国境よりウズベキスタンへ出国
2025.12.23 ブハラからサマルカンドへ移動
2025.12.24 サマルカンドからタシケント→空港
2025.12.25 日本帰国

 

 

 

12.20 トルクメニスタン入国

国境は写真を撮ってはいけないという情報を入れていたので、

写真はなし。国境越えをする人のために手順を書くと、

まず、ウズベキスタン側の門が9:00に空き、

少し歩いた先の建物で出国手続きをします。

ここは簡単にスタンプを押されるだけなのですが、

この日はウズベキスタンで学ぶトルクメニスタン人の学生の

里帰りの日と被ったとのことで長蛇の列。

列というか、並ぶという概念がないので、人だかり。

私も郷に入っては郷に従おうということでわれ先にと行くも、

イミグレまで行くのに1時間ぐらいかかるカオスっぷり。

出国スタンプを押したらしばらく歩いた先にまた門があって

そこが全然開かない。人で見えないので良くわからないが、

おそらくバスに乗ってトルクメニスタン側に行く模様。

そのバスに乗るための門が全然開かない…。

ガイドからWhatsAppsでもう国境にいるのかどうか連絡があり、

バスドライバーにTouristだと言えという連絡が。

でもそんな状況ではないというか、バスまで辿り着けない。

しばらくすると、門の警備?の兵士がTouristがいるかと叫ぶ。

周りの子供達(多分)がお前はTouristかと聞いてきたので、

そうでーす!と言って人をかき分けて進もうとするも全然進めず。

その次のバスに乗り込むことはできたがそのバスもぎゅうぎゅう。

隣に座ったトルクメニスタン人だかウズベキスタン人だかが

Touristか、そうかそうか、みたいな感じで話しかけてくれた。

ウズベクもトルクメンも人はみんなやさしい。

バスを降りる際に5,000UZSを払ってトルクメン側に行くも

そこも人だかりでよくわからない。

トルクメニスタンの学生たちが彼女はTouristだと言ってくれるが、

兵士もよくわかっておらず、ビザの窓口に並ばされた。

すると、救世主、ガイドのBahtiyarさんが登場。

 

トルクメニスタンは、ガイド同行でないと旅行ができない国なので、

VISAを取得するためには、まず現地の旅行会社でツアーを

探さなくてはいけない(日本の旅行会社でもできるのかな)。

色々な旅行会社があって、国営の会社が安心とか色々情報はあれど、

どこも3日で1,000USDとか850USDとか高いんですよ。

なので、私はIndyGuideというサイトで一番ちゃんとした

メッセージをくれたPermanさんの会社に決めました。

旅程が少し無茶な感じがしたものの、行きたいところに行けそうで、

何よりも、590USDというafordableな値段だったので。

Permanさんの旅行会社のサイトはここ。IndyGuideを経由しない方が安いのかな?

ツアー内容は結構融通利かせてくれる感じ。基本WhatsAppsで連絡を取る。

とにかくLetter of Invitationの取得に時間がかかった(運による)。

 

国境通過の話に戻り、Bahtiyarさんが登場した際、

私がめちゃくちゃ安堵した顔をしたようで、隣の女の子に笑われた。

ガイドが到着してからは、彼が全てをハンドリングしてくれて、

私がしたのは、VISAやCOVID検査代、入国税など全てひっくるめて

80USDを払っただけ(100USD払ってドルでお釣りを貰えた)。

いやー、ここまで来るのは大変だったけど、

Bahtiyarさんのおかげでその後はスムーズに進み、

国境通過にかかった時間は3時間ほど。普段は1時間ぐらいらしい。

本来はクニャウルゲンチに行く予定だったものの、

時間がないということで、ダショグスでランチを食べ、

その後、代わりにダショグス地方の博物館に行くことにした。

クニャウルゲンチもあまり時間は取れないと思っていたので、

これで良かったのかもしれない。

ランチはTraditional Turkmen foodということで、

牛肉と野菜をパイで包んだものと、

牛肩を長時間煮込んだスープに野菜を入れたもの

を食べた。私にとってはウズベキスタンより食が合う。

スープが本当に美味しかった。寒かったからというのもあるのかな。

スプーンが独特で牛肉をほぼ食べられなかったけれど、

出汁としての肉なので、食べないものなのかもしれない。

なぜなら、ガイドもドライバーもあんまり食べてなかった。

お腹を満たした後は、急遽決まった博物館へ。

トルクメニスタンの歴史や文化、農産物などいろいろな展示があり、

とても興味深かった。

国旗にある5つの模様は、5つの地域を表しているとのこと。

私、実は大統領が変わったことを知らず、

一代前の、歌が好きな大統領しか知らなかったのですが、

息子に代わっていました。選挙で選ばれたと言っていた。

私は泊まれなかったけれど、実物大のユルタがあったり。

天井が白いのは夏用で、冬用は天井が黒いそう。

寒さと暑さに対応しているとか。人類の知恵ですね。

トルクメニスタンでは、未婚の女性はスカーフなし、

結婚するとスカーフを巻き、何だっけ、子供生まれると

口元も隠すとか、段階を踏んで隠していく感じでした。

口元を隠すタイミングはちょっと忘れてしまった。

写真は撮れなかったけど、女子学生の制服が

緑色のロングスカートでかわいかったな。

 

そしてここからは地獄の門に向けて走ること3、4時間ぐらいかな。

途中から道がボッコボコになり、野良らくだもいたり。

まさに、Highway to Hellという感じ。

そして地獄の門に着いた時は18:00過ぎぐらいだったけれど、

もう真っ暗だったのでした。

ちなみに、トルクメニスタンではShine of Karakumという

名でも呼ばれているらしく、そっちの方が綺麗で良い。

まぁ、旧ソ連が残した負の遺産ではあるけれども。

全体像は動画でしか撮れないので臨場感のない画像で。

火自体は減っているものの、新たな火が出現したり、

誰にも、いつ崩れるのか、どこから新たなガスが出てくるのか

わからないのだとか。

この後、宿に戻って夕飯を食べるのだけれど、

ユルタに泊まると思っていたら、私が女性一人だからか、

この寒さでのユルタ泊はひどい思い出になってしまうと、

トラックドライバー用に新しくできた宿に泊めてもらった。

なので、夜に起きて歩いて火のところに行くことはできなかった。

そのためにライトを持って来ていたのだけれど、

暖かい所で寝られたし、トイレも綺麗だったので良かった。

夕飯はまた、牛肉を煮込んだスープと牛のバーベキュー。

肉はウズベキスタンのシャシリクみたいなもんかな?

本当にこのスープおいしいのだけど。

トルクメニスタンはご飯がおいしい。

ご飯が美味しい国は良い国です(断言)。

ちなみにこの日の部屋はこんな感じ(荷物散乱失礼)。

ゴミ箱とか何もなくてちょっと困ったけれども、

暖かくして寝られるというのは幸せなことです。

明日は7:00に朝食、8:00に出発なので、21:00には就寝。

 

 

 

 

 

 

旅の行程

 

2025.12.16 出発
2025.12.17 タシケント着
2025.12.18 夜行列車にてウルゲンチ→ヒヴァへ
2025.12.19 ヒヴァ着
2025.12.20 シャバット国境よりトルクメニスタン入国
2025.12.21 ダルヴァザ→アシガバード
2025.12.22 アシガバード→メルヴ遺跡→ファラップ国境よりウズベキスタンへ出国
2025.12.23 ブハラからサマルカンドへ移動
2025.12.24 サマルカンドからタシケント→空港
2025.12.25 日本帰国

 

 

 

12.19-20 ヒヴァ→シャバット

夜行列車でウルゲンチに着いてから、ヒヴァへ行くために

バスとトロリーバスを乗り継いで行きたかった。

その前に一休みするために駅前にあるというカフェを探す。

と、ない。

その間タクシーの運転手がひっきりなしに話しかけてくる。

ヒヴァまでバスで行きたいと言ってもバスはないと譲らない。

Mapでバス停となっている所にもバス停っぽいものはない。

ウズベキスタンはバス停のない所がバス停だったりするらしいので、

おそらくそうなのだろう。

バスに乗るにはおそらく細かいお金が必要だろうと思い、

水を買ったらそこでまた白タクの運転手に話しかけられる。

トロリーバスで行きたいと何度言っても、バスはないと譲らない。

何なんだよもう、と思うも夜行列車で疲れていたので、

Yandexと同じくらいの金額を提示されたので承諾してしまう。

ヒヴァへ向かう途中、トロリーバスが走っていて悔しかった。

ヒヴァが近くなってきたとき、地図ではこっちだと誘導したら、

全然違うところに着いてしまった。

タクシーの運ちゃんはどっかのレストランで

ホテルの場所を聞いてくれたけど、かなりご立腹で

タクシー代を値上げされ、あとは歩いていけと言われた。

ついでに買った水を車の座席に忘れてなんか嫌な気分に。

レストランのおばあちゃんに連れてってもらった。

ウズベキスタン、やさしい人が多いのは本当だな。

着いたホテルは家族経営で英語が話せるのは息子だけ。

翌朝の8:00にチェックアウトすると言ったら、

朝食は7:00にしてくれると店主が言う。

英語ができる息子に確認したらそれでOKというので、

安心してヒヴァ観光に出かけた。

ヒヴァは何の知識もなく行ったのだけれど、

とても綺麗だったけれどあまりやることもなくよくわからない。

観光シーズンじゃないのでどこのカフェもやっていないし。

ミナレットに登れと言われて言われるままに登ろうとしたら

100,000UZS。高くね?

外国人料金が至る所で設定されていて、

ウズベキスタン人の10倍以上のようでした。

こんな階段を登っていくと…

街全体を見下ろせる。だけ。綺麗だけれども。高くね?

本当はこの壁内に入るのにも共通チケットが必要らしいけど

よくわからないのでとにかくブラブラ。

シルクロードの砂漠のオアシスの街という知識だけでブラブラ。

壁外には出なかったけど、出た方が物価が安かったよう。

暗くなるのが早いので、16:00には夕飯のレストランを探すも、

観光シーズンではないのでどこもやっていなくて、

唯一やっていたお店でお茶とラグマンを食した。

観光客価格で高かったものの、景色が良かった。

お店。

 

羊肉のせいか、少しお腹を壊したのでホテルに帰って就寝。

翌朝も少し調子悪かったけど、大丈夫程度には回復していました。

が、7:00になってもホテルの人が誰も起きてこない。

もう忘れられたと諦めて持参したお菓子とコーヒーを飲む。

8:00にはチェックアウトしなくてはならないので、

申し訳ないけれど大騒ぎしたら起きてきた。

ランチボックスを作るからちょっと待ってと言われたものの、

本当に時間がなかったので、手配していた車でシャバット国境へ。

国境までのモビリティは、タクシーと交渉するのも嫌だったので、

コチラのトランスファーサービスを利用しました。

朝早くて暗かったので、タクシーを探す大変さもなく、

安心だし、女性一人旅では前もって予約しておくのが正解だな。

ついでに、ファラップ国境からブハラまでのトランスファーも

予約しました。ヒヴァのホテルからシャバットまでが30USDで、
ファラップからブハラのホテルまでが50USD。
シャバットまでは90分とあったけれど、
冬だからか、ドライバーが飛ばしたからか、60分で到着。
そこには、想像を絶する人だかりができていたのでした…。