こんばんは!寒さMAXの天候の中、結構外出している、寒さが滅茶苦茶苦手な、まことデス。
夏は大好き!!!
春と秋も好き!!!
冬は、空気が澄むけど、少しつらいかな。
『Episode☆A』
土曜日の夜は、かいちぇんちぇい(児童からそう呼ばれているらしい)の元バイト先にて、店長が本日一杯で退職とのことで誘われて一緒にご飯してきました。
自分個人的にも数回、行ったことのある店だったので雰囲気などはよく知っています。
自分も飲食店(珈琲業)の時に異動で店舗が替わったり、退職などの際にバイトの子達から嬉しい限りの餞別や惜別のメッセージ、(意外なことに)男の子から花束(それもシフトでは無かった日に店に顔を出してくれた)、胴上げなどされたことを想い出した。
照れるが、涙する子もいた。
24~27歳と若かったあの頃。
まだまだ社会人としても、飲食業スタートで現場だったぶん、今のような礼儀作法なども知らず、体力と感謝の気持ちとプラス思考だけで乗り越えてきた頃だった。
振り返ると懐かしく、清清しい頃だった。
贈り物文化、を学んだ飲食業の時の自分。
やはり、そういう感謝の気持ちは照れずに素直にあらわすのが一番で、極力言葉や行動でストレートに伝えられればそれがイイのかなと。
かいちぇんちぇいも、店長と談笑しながらバイト時代を懐かしんでいたのかな。
飲食業の大きな醍醐味を1つ、垣間見れて、懐かしい記憶を想い出せた♪
23時過ぎに宿に戻り、早速サッカーを観始めた。
『Episode☆B』
日曜日、朝が明ける。
自然と、目が覚める。
サッカーは後半の始まりで眠気に負け、起きて結果を知り、感動。
シャワーを浴びてゆっくりチェックアウト準備。
日曜日は朝カフェと題してB&Bスタイルでパンと珈琲がレセプションで提供されているのだが、今日はたくさんの人達が集っていた。
朝カフェを担当しているママや女の子を久しぶりに見掛け、「今日は野球なんですか~?」と声を掛けられたが、昨夜の飲みの経緯を話し、そうしているうちに新しいヘルパーか学生ボランティアさんが特別に作っていた釜焚きご飯とお味噌汁をいただいた。
この宿は主にハマスタで試合がある際に年数回利用していて、自分はもう、そういうリピーターだと認知されているんだ。
だから「まさかこの時期に来るとは思いませんでしたよ~」なんて話しているうちに、いつもの珈琲を淹れてもらうことに。すると。
「実は私、今日で朝カフェが最後で、暖かくなる頃に近くでカフェを開くんですよ」って。
虫の知らせか、何の因果か、これも繋がるべくして起きた現象なのか。
普段なら、まず宿泊予約をすることが無いこの時期の利用に、そしてそれがこの女の子の最終日にめぐり合わせるだなんて、とても不思議な気持ちになって「すごい巡りあわせですね~。最後の日に会えうことが出来て良かったですよ」と。
約2年強の間、朝カフェを担当し、自分は6~7回くらい会う(それも毎回僅か20分くらい)中で『本日は特別なコーヒー豆を用意した』と、イエメンの豆を粉にしてドリップして淹れてもらった。
珈琲らしくない、軽やかな、はたまたミントのような感のするアロマに少し驚きながら、口にするとやはり軽やかに拡がるチョコレートフレーバーに驚き、つい「美味しい!今まで飲んだことの無いような味です!」と正直な感想を述べると、“予想通り”というような笑顔で「チョコレートフレーバーでしょ。」と。
自分が以前、珈琲業時代に数回だけ仕入れたことのある「パプアニューギニアの豆のチョコレートフレーバーに類似した美味だ」と伝えると、新発見のような表情で。
レセプションはミュージシャンの方々のアコースティックギターの明るい、コンテンポラリーな曲の生演奏を聴く中、最後に発した自分の一言で大爆笑の渦に包まれつつ手を振りあってレセプションを後にする。
時刻は午前11時を廻ったところだった。
空気は寒すぎず、風も無く、歩いても『心が楽しい気持ち』だったので暖かく歩を進めた。
『Episode☆C』
遡ること、金曜日午後2時。
とても自分の事を可愛がってくれ、いつも「早くいい女を見つけて俺に紹介しに来い」と言ってくれ続けてくれていたT.S先生(国に名前が登録されている手漉き和紙の生産者。現在は廃業し、後進の指導にあたっていた)が83歳で逝去の報が僕の携帯に入った。
事務担当をしている都合上、細川紙技術者協会員に訃報を伝達し更に、教育委員会にも同様の旨を連絡しなければならなかった。
最後にきちんと顔を合わせた記憶は、夏ごろだったかも知れないが、巨星が一つ堕ちたかな、と。地域の手漉き和紙産業を約70年支えた第一人者で、会えばいっつも女の話題。
煙草も吸うし、一緒の酒宴では熱燗を水のようにクイクイと空けてしまうのだ。
いつも自分が途中で酔いつぶれて寝てしまい「おい、そろそろ会計するぞ」と肩を叩かれて起こされるのだ。
この仕事の担当をしてから7年目が終わる。
その終わりかけに、急な訃報。
緑内障を患い、手術を繰り返し、ご自宅に顔を出すとあまり体調も優れない様子のなのがハタと分かったが、急すぎる。
人は生まれて、生きて、いつか平等に死を迎えるのだが、今日(日曜)のさっきまでの曇り空から、ちょうど歩き始めてから雲一つない空に替わった、この青空を見上げることも、無意識のうちにも呼吸をしていることも、その先生には、もう無いことだった。
T.S先生の生きて居ない世界を、今、自分は生きている、と青空を眺めながら〝だからこそきちんと充足した生き方を心掛けよう〟と。
「早くいい女を見つけて俺に紹介しに来い」って7年もかけ続けてくれた言葉は、今、想い返すと「俺たちの元気なうちに、早くいい女を見つけて紹介しに来い」ってことだったんだなあ、としみじみした。
ごめんなさい、約束(願い)は守れなかった。かなえられなかった。
これは自分の両親や親戚、今まで自分に関わってくれた全ての人がそうなんだから、毎年友人らから年賀状に書かれている同様のことを「只のジョーク」では無く自然の摂理として受け留めていかなきゃならないんだなと。
火曜日の通夜の前に明日、じんぎに出向いてきちんと先生の顔をみて別れの挨拶を告げようと。
この晴れた空に、最後の最後まですっげー女好きで、一体この人の現役時代はどれだけ女関係凄かったんだろうと思わせるほど下ネタもバンバンかました、歌と油絵の上手なT.S先生のことを今日は特に多く想う一日だった。
『Episode☆D』
午後2時くらいから、横浜スタジアムを散歩して、日本大通りから川越まで移動した。
ハマスタの空も雲一つなく、綺麗に晴れ渡っていた。
シーズンが始まればまた、ここに足しげく通う気がするが、今日は歩く人の数もまばらで滞在しやすい。
菊名と和光市で乗り換え、川越に着くと予約してるマッサージの時間まで少し時間がある。
この土日、不思議だあと思うだけれど、4年ちょっと自分の身体を揉み解してくれたマッサージの女性店長が今日で川越店を終え、明日(つまり2月1日)から他店へ異動となるのだ。
意外とお客様からの支持率高かったらしく(笑)、余裕綽々のつもりで予約のTELしたら完全に埋まってしまい、今日の小一時間しか空いて居なかった、と。
いつも施術してもらっているフットマッサージを依頼し、いつも通りに会話しながら、話題の中で互いに初めて顔を合わせ得た時の話になった。
自分に対する感想は「若っ!」だったらしく、I店長に対する感想は「結構恋愛をしてそうな、人として面白そうな子」で、最初の会話のやりとりを話すと、笑ってた。
「私、22歳でピチピチでしたね~」とか「そっかー、俺もまだ34だったものな~」とか笑。
「人間、出合えば別れる」とは3年前くらいに、高校の恩師が自分に対してニコニコしながら(何故ニコニコかというと、その意味を全く自分が理解できず困惑してたのが面白かったみたい。まだまだ若いなあーと)言った言葉。
確かに同じ店舗で4年在籍は長いし、異動は付き物だけど残念なのは残念。
ちょっと寂しいのは、ちょっと寂しい。
いつも通りに「菅間さーん、お待たせしました」と呼ばれ、マッサージ受ける前に感謝の気持ちで小物を渡し(いつも何かもらっているので)、「笑顔を大事にこれからも頑張ってね」と。
すると終わり際、またもコメント付きのお返しが(指名のお客様用ね)あって。
最後まで自分の方がもらいっぱなしだったなぁ。
I店長の場合、次の場所でも、どこででも自分の持てる魅力をきちんと発揮できるタイプだから心配はしていないけど、持ち前の笑顔でお客様に“I店長に会えて、施術してもらえて嬉しい”という人物と心持ちであって欲しいと、勝手に願うばかりなのだ。
生まれて、生きていて(←今ここ)、いつか終わりになるその日まで、出来れば心健やかに、自分とかかわりのあった人達がちょっとでも暖かくなってくれればそれが嬉しいなと思うのだ。
いずれまた、ふと何処かで訪れる再会を楽しみにしながら。
夏は大好き!!!
春と秋も好き!!!
冬は、空気が澄むけど、少しつらいかな。
『Episode☆A』
土曜日の夜は、かいちぇんちぇい(児童からそう呼ばれているらしい)の元バイト先にて、店長が本日一杯で退職とのことで誘われて一緒にご飯してきました。
自分個人的にも数回、行ったことのある店だったので雰囲気などはよく知っています。
自分も飲食店(珈琲業)の時に異動で店舗が替わったり、退職などの際にバイトの子達から嬉しい限りの餞別や惜別のメッセージ、(意外なことに)男の子から花束(それもシフトでは無かった日に店に顔を出してくれた)、胴上げなどされたことを想い出した。
照れるが、涙する子もいた。
24~27歳と若かったあの頃。
まだまだ社会人としても、飲食業スタートで現場だったぶん、今のような礼儀作法なども知らず、体力と感謝の気持ちとプラス思考だけで乗り越えてきた頃だった。
振り返ると懐かしく、清清しい頃だった。
贈り物文化、を学んだ飲食業の時の自分。
やはり、そういう感謝の気持ちは照れずに素直にあらわすのが一番で、極力言葉や行動でストレートに伝えられればそれがイイのかなと。
かいちぇんちぇいも、店長と談笑しながらバイト時代を懐かしんでいたのかな。
飲食業の大きな醍醐味を1つ、垣間見れて、懐かしい記憶を想い出せた♪
23時過ぎに宿に戻り、早速サッカーを観始めた。
『Episode☆B』
日曜日、朝が明ける。
自然と、目が覚める。
サッカーは後半の始まりで眠気に負け、起きて結果を知り、感動。
シャワーを浴びてゆっくりチェックアウト準備。
日曜日は朝カフェと題してB&Bスタイルでパンと珈琲がレセプションで提供されているのだが、今日はたくさんの人達が集っていた。
朝カフェを担当しているママや女の子を久しぶりに見掛け、「今日は野球なんですか~?」と声を掛けられたが、昨夜の飲みの経緯を話し、そうしているうちに新しいヘルパーか学生ボランティアさんが特別に作っていた釜焚きご飯とお味噌汁をいただいた。
この宿は主にハマスタで試合がある際に年数回利用していて、自分はもう、そういうリピーターだと認知されているんだ。
だから「まさかこの時期に来るとは思いませんでしたよ~」なんて話しているうちに、いつもの珈琲を淹れてもらうことに。すると。
「実は私、今日で朝カフェが最後で、暖かくなる頃に近くでカフェを開くんですよ」って。
虫の知らせか、何の因果か、これも繋がるべくして起きた現象なのか。
普段なら、まず宿泊予約をすることが無いこの時期の利用に、そしてそれがこの女の子の最終日にめぐり合わせるだなんて、とても不思議な気持ちになって「すごい巡りあわせですね~。最後の日に会えうことが出来て良かったですよ」と。
約2年強の間、朝カフェを担当し、自分は6~7回くらい会う(それも毎回僅か20分くらい)中で『本日は特別なコーヒー豆を用意した』と、イエメンの豆を粉にしてドリップして淹れてもらった。
珈琲らしくない、軽やかな、はたまたミントのような感のするアロマに少し驚きながら、口にするとやはり軽やかに拡がるチョコレートフレーバーに驚き、つい「美味しい!今まで飲んだことの無いような味です!」と正直な感想を述べると、“予想通り”というような笑顔で「チョコレートフレーバーでしょ。」と。
自分が以前、珈琲業時代に数回だけ仕入れたことのある「パプアニューギニアの豆のチョコレートフレーバーに類似した美味だ」と伝えると、新発見のような表情で。
レセプションはミュージシャンの方々のアコースティックギターの明るい、コンテンポラリーな曲の生演奏を聴く中、最後に発した自分の一言で大爆笑の渦に包まれつつ手を振りあってレセプションを後にする。
時刻は午前11時を廻ったところだった。
空気は寒すぎず、風も無く、歩いても『心が楽しい気持ち』だったので暖かく歩を進めた。
『Episode☆C』
遡ること、金曜日午後2時。
とても自分の事を可愛がってくれ、いつも「早くいい女を見つけて俺に紹介しに来い」と言ってくれ続けてくれていたT.S先生(国に名前が登録されている手漉き和紙の生産者。現在は廃業し、後進の指導にあたっていた)が83歳で逝去の報が僕の携帯に入った。
事務担当をしている都合上、細川紙技術者協会員に訃報を伝達し更に、教育委員会にも同様の旨を連絡しなければならなかった。
最後にきちんと顔を合わせた記憶は、夏ごろだったかも知れないが、巨星が一つ堕ちたかな、と。地域の手漉き和紙産業を約70年支えた第一人者で、会えばいっつも女の話題。
煙草も吸うし、一緒の酒宴では熱燗を水のようにクイクイと空けてしまうのだ。
いつも自分が途中で酔いつぶれて寝てしまい「おい、そろそろ会計するぞ」と肩を叩かれて起こされるのだ。
この仕事の担当をしてから7年目が終わる。
その終わりかけに、急な訃報。
緑内障を患い、手術を繰り返し、ご自宅に顔を出すとあまり体調も優れない様子のなのがハタと分かったが、急すぎる。
人は生まれて、生きて、いつか平等に死を迎えるのだが、今日(日曜)のさっきまでの曇り空から、ちょうど歩き始めてから雲一つない空に替わった、この青空を見上げることも、無意識のうちにも呼吸をしていることも、その先生には、もう無いことだった。
T.S先生の生きて居ない世界を、今、自分は生きている、と青空を眺めながら〝だからこそきちんと充足した生き方を心掛けよう〟と。
「早くいい女を見つけて俺に紹介しに来い」って7年もかけ続けてくれた言葉は、今、想い返すと「俺たちの元気なうちに、早くいい女を見つけて紹介しに来い」ってことだったんだなあ、としみじみした。
ごめんなさい、約束(願い)は守れなかった。かなえられなかった。
これは自分の両親や親戚、今まで自分に関わってくれた全ての人がそうなんだから、毎年友人らから年賀状に書かれている同様のことを「只のジョーク」では無く自然の摂理として受け留めていかなきゃならないんだなと。
火曜日の通夜の前に明日、じんぎに出向いてきちんと先生の顔をみて別れの挨拶を告げようと。
この晴れた空に、最後の最後まですっげー女好きで、一体この人の現役時代はどれだけ女関係凄かったんだろうと思わせるほど下ネタもバンバンかました、歌と油絵の上手なT.S先生のことを今日は特に多く想う一日だった。
『Episode☆D』
午後2時くらいから、横浜スタジアムを散歩して、日本大通りから川越まで移動した。
ハマスタの空も雲一つなく、綺麗に晴れ渡っていた。
シーズンが始まればまた、ここに足しげく通う気がするが、今日は歩く人の数もまばらで滞在しやすい。
菊名と和光市で乗り換え、川越に着くと予約してるマッサージの時間まで少し時間がある。
この土日、不思議だあと思うだけれど、4年ちょっと自分の身体を揉み解してくれたマッサージの女性店長が今日で川越店を終え、明日(つまり2月1日)から他店へ異動となるのだ。
意外とお客様からの支持率高かったらしく(笑)、余裕綽々のつもりで予約のTELしたら完全に埋まってしまい、今日の小一時間しか空いて居なかった、と。
いつも施術してもらっているフットマッサージを依頼し、いつも通りに会話しながら、話題の中で互いに初めて顔を合わせ得た時の話になった。
自分に対する感想は「若っ!」だったらしく、I店長に対する感想は「結構恋愛をしてそうな、人として面白そうな子」で、最初の会話のやりとりを話すと、笑ってた。
「私、22歳でピチピチでしたね~」とか「そっかー、俺もまだ34だったものな~」とか笑。
「人間、出合えば別れる」とは3年前くらいに、高校の恩師が自分に対してニコニコしながら(何故ニコニコかというと、その意味を全く自分が理解できず困惑してたのが面白かったみたい。まだまだ若いなあーと)言った言葉。
確かに同じ店舗で4年在籍は長いし、異動は付き物だけど残念なのは残念。
ちょっと寂しいのは、ちょっと寂しい。
いつも通りに「菅間さーん、お待たせしました」と呼ばれ、マッサージ受ける前に感謝の気持ちで小物を渡し(いつも何かもらっているので)、「笑顔を大事にこれからも頑張ってね」と。
すると終わり際、またもコメント付きのお返しが(指名のお客様用ね)あって。
最後まで自分の方がもらいっぱなしだったなぁ。
I店長の場合、次の場所でも、どこででも自分の持てる魅力をきちんと発揮できるタイプだから心配はしていないけど、持ち前の笑顔でお客様に“I店長に会えて、施術してもらえて嬉しい”という人物と心持ちであって欲しいと、勝手に願うばかりなのだ。
生まれて、生きていて(←今ここ)、いつか終わりになるその日まで、出来れば心健やかに、自分とかかわりのあった人達がちょっとでも暖かくなってくれればそれが嬉しいなと思うのだ。
いずれまた、ふと何処かで訪れる再会を楽しみにしながら。