赤文字はフィクションです^^
 
真理はドアの内側で耳を澄ませた。力こめてひっぱたいた手の平が赤くなっている。しびれたように痛む手の平に、masaの頬の感触が残り、こみ上げるものがあった。
外では沈黙が続いていたが、小声の会話が交わされた後、masa,スナフキン&媛子の三人が車に乗り込み去っていく音が聞こえた。
「昔とおんなじ。拒絶されたら追いかける勇気がないのね」
真理は自室に入り小さなクローゼットをゆっくり開けた。ピンクの小さなオートバイツーリング用の上下と、その隣には古風なドレスも掛けられている。
masaと知り合ったのは、高校生の真理が芦ノ湖へツーリングに行った時だった。バイクが故障して立ち往生していたところへmasaとその友人ジョニーがやはりバイクで通りかかった。はじめは冷やかし半分に声をかけてきたが、事情を聞くと、真剣に修理にとりかかってくれたのだった。
待っている間、サーモに詰めた熱いココアとクッキーまでご馳走してくれて、心細さが吹き飛んだ。今思い返しても、あれは本式に淹れた上等なココアとクッキーだったと思う。二人の身のこなしや表情は、東京山の手のお坊ちゃまの雰囲気を漂わせていたし。
 
新緑の頃で、湖を淡いグリーンの木々が取り囲み鳥は歌い、これから始まる初恋の予感にふさわしかった。予感通り、masaとの交際はそれから続くことになった。
真理は高校を卒業するかしないかのうちにダンスの道に進み、当時ブームとなったディスコで毎夜踊るようになったし、masaは大学に入学、真理のディスコでもデートを重ねた。
バブル期の頃で小遣いはふんだんにあったし、そのまま行けば二人は生涯を共にすることを疑っていなかったのだが……。
「どうしたらいいと思う?」
窓辺に置かれた写真に、真理は尋ねた。
そこには年配のカップルの写真二枚とバイクの横で笑顔のmasaの写真、そしてもう一枚……。
 
 
午前中、ホキ美術館を見て回ったmasa,スナフキン、媛子の三人は、再びmasaの車に乗り込んだ。
友情が深まったか、振られた男どうし運転席と助手席に並んで座り話が弾んでいる。後部席には媛子ひとりになったが、その方が都合がよかった。
「これから渋谷へ行きましょう。
昼食に、江戸前の蕎麦はいかがでしょう。たしか同じビルにフェルメールが来ているはずです。
その後青山や麻布を抜けてミッドタウンへ向かいます。
六本木ヒルズの隣のリッツカールトンホテル45階ののアフタヌーンティーをごちそうさせてください。
あ、もしご都合がよければですが」
masaさんはさらりと言った。
愛媛から出てきた二人はお互いを見る。
スナフキンは、ジーンズと真っ赤なラガーシャツ、媛子はしまむらで買った黒いボトムに、宇和島で洋品店をやっている友人に送ってもらった小豆色のトップス。
こんな田舎者があのホリエモンも住んでいたという、ろ、ろ、六本木ヒルズやりっつかーるとんほてるなんかへ行って、45階から放り出されたらどないしょ。それとも冷ややかな目で無視されるか恥をかかされるとか……。
ゆううつになった。
「大丈夫です。私なんか仕事帰りに冷やかしに入ってもOKでしたよ(^^)vタオルを首に巻いてたけど」
それにしても東京は人が多い。渋谷のナントカいう数字のショップの前は特に若い女の子であふれている。
田舎の一年分を一時間くらいで通行していく感じだ。
いろいろまわってかなり疲れたころ、三人はリッツカールトンホテル45階のティーラウンジに到着した。
フロアに一歩踏み入れると、なんともエキゾチックな香りが充満している。
テーブルにはお嬢さまたちがどこがどうとは言えないが高価なドレスを着て、ティータイムのおしゃべりを楽しんでいる。
ソファ席にはお腹の大きい女性とその若い夫らしき二人がカップを手に沈み込んで本を読んでいた。
左手にはグランドピアノが置かれていて、脇には小さな滝が流れ続けていた。
目前にはスカイツリーをはじめとする、大東京のぎっしり詰まったビル街と街並みが見渡せて圧倒された。
さらに圧倒されたのは、メニューの価格だ。コーヒー 1,500円 紅茶 1,500円。おおっ!
masaが落ち着いて提案した。
「はじめから茶葉を選んで注文してもいいんですが、サンプルを頼むと全部の茶葉の香りを楽しめるのでそうしちゃいましょう」
ウェイトレスが木箱に分類された茶葉を持ってきた。ひとつひとつ小さな壺に入っている。
その中の『リッツカールトンホテルブレンド』の香りを確かめて媛子は納得した。フロアに充満しているエキゾチックな香りの正体はそれだったのだ。
ウェイトレスは注文を受け、ティーポットとカップを運んできた。どちらもウェッジウっドである。しかもその高級品を小さなコンロの火に直に置いたまま頃合いになるまで他の客の接待に行ってしまった。
 
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戻って注いでくれた最初の一杯は、物足りないほど色は薄い。が、渋みが全くなく、香りは申し分ない。媛子は砂糖もクリームも入れないで味わった。
空になると、すぐ来て二杯目が注がれたが、色も味もちょうど良く、クリームがよく合う。
そして三杯目。少し渋めで味が濃いので、媛子は砂糖もクリームも多めに入れて味わった。
4杯めは新たなポットに取り換えてくれた。
よく客に目を配っていて、カップが空になればすかさず次の一杯を注ぎに来てくれる。
笑顔は惜しみない。
「おいしいです。疲れがとれました」
媛子の感想に、ウェイトレスが真に嬉しそうな笑顔で応えてくれた。
隅の小さなバーカウンターは「喫煙コーナーでございます」とウェイトレスが説明する。男性が、そこのガラス扉の中の葉巻を選んでいた。
「ちょっと行ってくる」
コーヒーを飲み終えたスナフキンが、タバコとライターを手にそちらへ行った。
「masaさん、今日は何から何までほんとうにありがとうございました。
さすがですね。居心地の悪さなど少しも感じさせない。これが一流の接客なんですね」
「私もね、一度仕事帰りで立ち寄ったんです。タオルなんか首に巻いて。でもその時もくつろがせてもらいました」
『今日、真理もここに座っていたらもっとよかったのに』
媛子は、今日ずっと願っていたこと、のどまで出かかっていた言葉は呑み込んだ。
……前夜、フォーク酒場で強引にマイクを渡されて、真理は二曲だけ歌ったのだ。
どちらも若い頃の恋人を想って生きているという歌だった。
『ずっと好きな人がいるの。若い頃姿を消したけど、ひょっとしたら捨てられたけど、やっぱり好きなのよ』
からかう媛子に真理はちょっとだけ打ち明けてくれたのだ。
長年の友達だからよくわかる。あれはmasaさんのことに違いないと。
今朝、真理がmasaさんに再会した時のあの目。ひっぱたいて家の中へ走り込んでしまったあの慌てよう。
媛子は、ホキ美術館を出てからずっとメールを打ち続けている。
『真理、昔あったことは知らないけど、masaさんは変わったんじゃない?
とてもいい人だよ』
『話し合ってみたら』
 
                                       
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 真理からの返信は一本も来ていない。
媛子はとどめの誘いをかけた。
                                             つづく