今回、母の入院は長い。
微熱が去らないせいもあるだろうが、やはりおととしより去年、去年より今年・・・年々弱っているのがわかる。
朝昼晩、妹私父で食事の介護に通うのも長期戦になるかもしれない。
おとといの火曜日、都合で行くのが遅くなりそうだったので、ナースステーションに電話してその旨告げて、食事介護をお願いした。
もともと他の患者さんは看護師さんたちが介助しているので問題ないし、母も少しずつスプーンで食べるようになっていたから大丈夫かなと、軽い気持ちだった。ところが、

12時を20分ほど遅れて病室に入っていくと、母が私を見て泣き出した。
それもしゃくりあげながら、激しく。
私も驚いたけど、介助中の看護師さんも驚いた。
「としこさん、娘さん、きてくれたね。よかったね。
ほんでも、私ではだめなん?私食べらしてあげよるがね。
私ではだめなん?」
笑顔で熱心に話しかけてくれたけど、母のしゃくりあげはやまない。

看護師さん、スプーンを私に渡して、ちょっと気を悪くした風で部屋を出て行った。

母の涙は何度も見たことがある。
親戚のもめごと。
20歳過ぎて、私が東京へ飛び出してしまった時。
妹とけんかして、
自分ががんの宣告を受けた時、
次第に寝たきりになってきたとき・・・

母は何度も泣いた。が、それはあくまでも人生の先輩としての、母の涙だった。やっぱりちょっとおっかない母は残っていた。

昔から、母は、気が強く、思い込み激しく、かっとして頭に血が上ると何をしているか分からなくなることがよくあった。すりこぎ振り上げた母に追い詰められあわやというとき、父が帰宅。父は顔色変えて止めてくれた・・・ことがある。

ま、母娘、女同士ということもあって思春期のころはいろいろありました。


どちらかといえば、私より妹と性格の似ているところがあり、二人は一時双子のようによく気が合い、買い物に、家の改築に、と、何でも一緒にしていた。
長女でどちらかといえばおっとりの私は…はっきり言って、母とは「合わない娘」だったのだ。

結婚・出産という女のイベントを経て次第に友達となっていったかな。

母は、いざ自分が寝たきりになり以前のようにしゃかしゃか動けなくなったら、「おっとりもいいかも」と気がついたのかもしれない。

とにかく
「しゃくりあげる母」はもう以前の母ではない。
保育園児が、お迎えの遅れた母を見たとたん飛んで行ってしがみつくように、
「どして、おそなったん」(どうして遅くなったの?)と責めるように、いつまでもしゃくっている。

私はじ~~んとして一緒に泣いて・・・いるわけにはいかない。
バトンタッチされたスプーンで食事を母の口に運び、
時におだてながら、時に叱りながら、
食後は、食器を所定の場所に返し、
むせないように、とろみのついた水を作って少しずつ薬を飲ませ、
歯を磨き入れ歯を磨き、コーヒーを一緒に飲みながら話しかけて、
ベッドを倒して母を寝かせ、汚れたよだれかけエプロンを洗って・・・
遅れた分、ちょっと忙しいのだ。

食事し損ねたので、帰りは珍しく喫茶店にちょっと寄った。
ここは仕事が速く、サンドイッチをハーフで出してくれる。

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期間限定、夏ミカンジュース。すっぱくシブく、ほろにがく。そのままだとぜったい飲めないので、きっと蜂蜜が入っています。夏ミカンもこの頃見かけることが少なくなったそうで、この日で終わり。期間一週間、ほんとに短く限定です。

コースターもかわいかったです。



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