きのうは時間がなくなり、いやなところで終わらせてしまいました。<(_ _)>
でも、これも介護の途中起こりがちな出来事だと思いますから、
続けてあっさりと書いてしまいましょう。
続けてあっさりと書いてしまいましょう。
だだし、コメントは、お見送りくださいね~。ちょっと深刻な局面なので。
もう10年前のことで、私は大丈夫なんですけど。(*^_^*)
もう10年前のことで、私は大丈夫なんですけど。(*^_^*)
40年間同居を続けてきた父母の元から、叔父の元へ、
祖父母は突然引き取られて行きました。
原因は、書かないつもりでした。
私の側からの一方的なものになるからです。
でも、ここまで書いちゃったので、ちょっとだけ、触れておきます。
末っ子の叔父は、一ヶ月に一度ほど、仕事の関係で近くをまわり、
私の実家に寄りました。目を潤ませて、祖父母をなでたりさすったり、
やさしく声をかけていました。
一方祖父母は、少しばかり動産を持っていました。それで、強気で。
父母に関する愚痴は、叔父や、近くに住む叔母にこぼしていたのですね。
叔父や叔母は、伴侶の親と同居した経験がありません。まともにそれを受け止めて、
私の父母への不信感をつのらせていたと思われます。
叔父に引き取られて1年半後に祖父が、、数年後に祖母が、亡くなりました。
4世代同居の家に生まれ育った私は、思うのです。
同居は、マラソンだと。
あまりスピードを出したら続かない。苦しい時にはフォームもへったくれもない。
あごを出そうが、家族から不満が出ようが、はいつくばろうが、
とにかく続けていかなければなりません。
自分の子供が反抗期の頃は、親と子供の舵取りに、毎日肝を冷やします。
親が老いたらおぶって、感謝されるどころか悪口を言われながらでも少々のことは無視して聞き流し、父のように鼻でもほじりながら、とにかく進む。
40年間そのように走ってきた父母。
ゴールがそこに見えてきたとき、
「その走り方は何だ」と、観客の叔父が、私の父母を石で打ち、
祖父母を奪って走り始めました。
叔父は、短距離を走り、ゴール。
喝采を浴びたかどうか、私は知りません。
私は、叔父叔母とは幼いころから同じ家で暮らし、かわいがってもらい、
本当の兄弟のようにして育ちました。
今後どこかで会うことがあれば、
でも、だから、ひとこと言いたい。
「百歩譲って、
そちらにはそちらの言い分があるのかもしれないけど、
あんまり、カッコ良すぎやしませんか」
その軋轢の中で、母は半狂乱になりました。父は母をかばい、
叔父が祖父母を連れていくにまかせました。
40数年、共に暮らした祖父母が連れていかれた時、母は痛手を受け、
寝たきりになった今でも、傷を抱えていますが、
同時に、
「ああ、今日から食事の献立に気を張らなくていいんだ」
「もう、毎日の生活で、気を使わなくていいんだ」
膝の力が抜け、うしろめたいほど気が楽になったと言います。
次回は、幸せな姫と王子様のおはなしです(^O^)/