私の父母は、見合い結婚だった。
お見合いの日、父と母は、近くの町へ行った。
汽車を下りるとすぐ、父が尋ねた。
「おなかすいていませんか」
「まだ・・・」
と、蚊の鳴くような声で答える母。
それきり父も母も、食事のことを言い出す勇気なく、空腹を抱えたまま、
暗くなるまでその町を歩き回り、帰った。
そして八日後、婚礼の式を挙げた。
当時、親の勧める縁談に、是も非もなかった。
それに、母は、農家の娘として苦労して育ったので、何が何でもサラリーマンの妻に
なりたかったのである。
四畳半に、父母と婚礼家具、後に妹と私もおさまった。襖の向こうには、會祖母が
起き臥ししている。壁を隔てた隣の二部屋には、祖父母と父の弟妹が住むという、
最悪の住宅事情。夏場など、襖を開け放して寝たというから、若い母にとっては
過酷な新婚生活だっただろうと思われる。
叔父が進学、叔母が結婚し家を出たのを機に、會祖母・祖父母・父母に妹と私の
計七人は、広い家に引っ越した。
父も祖父も長男。母屋であるから、親戚が、しょっちゅう出たり入ったり。
大おばたちは、あくの強い人ばかりで、わが家はいつもにぎやかだった。
私たち子供は楽しかったが、嫁である母は、大変だった。
父母は、このようにして40年間、ハネムーンも何もなく、祖父母と共に住んだ。
十年前、祖父母が九十数歳を超えたある日、遠方に住んでいた叔父が、私の父母への
非難を言い立て、つむじ風のように、祖父母を自分のもとへ引き取った。
お見合いの日、父と母は、近くの町へ行った。
汽車を下りるとすぐ、父が尋ねた。
「おなかすいていませんか」
「まだ・・・」
と、蚊の鳴くような声で答える母。
それきり父も母も、食事のことを言い出す勇気なく、空腹を抱えたまま、
暗くなるまでその町を歩き回り、帰った。
そして八日後、婚礼の式を挙げた。
当時、親の勧める縁談に、是も非もなかった。
それに、母は、農家の娘として苦労して育ったので、何が何でもサラリーマンの妻に
なりたかったのである。
四畳半に、父母と婚礼家具、後に妹と私もおさまった。襖の向こうには、會祖母が
起き臥ししている。壁を隔てた隣の二部屋には、祖父母と父の弟妹が住むという、
最悪の住宅事情。夏場など、襖を開け放して寝たというから、若い母にとっては
過酷な新婚生活だっただろうと思われる。
叔父が進学、叔母が結婚し家を出たのを機に、會祖母・祖父母・父母に妹と私の
計七人は、広い家に引っ越した。
父も祖父も長男。母屋であるから、親戚が、しょっちゅう出たり入ったり。
大おばたちは、あくの強い人ばかりで、わが家はいつもにぎやかだった。
私たち子供は楽しかったが、嫁である母は、大変だった。
父母は、このようにして40年間、ハネムーンも何もなく、祖父母と共に住んだ。
十年前、祖父母が九十数歳を超えたある日、遠方に住んでいた叔父が、私の父母への
非難を言い立て、つむじ風のように、祖父母を自分のもとへ引き取った。