原体験って言葉、ありますよね?

皆さんには、原体験と言える体験はありますか?

ようは幼い頃の思い出ですよね?

 

しかし、私たちが原体験について敢えて語る時、

現状の自分があって、今から考えると、

おそらく小さい頃のこの体験が

今の自分に影響しているのではないか?

と考えて原体験というものを思い出すような気がします。

 

自分の原体験として思い出すのが、家の畑で家族と掘った

「さつま芋掘り」です。

 

我が家は、今は実家が立っている家の土地が、昔は畑でした。

そこで家族総出(たぶん、祖母、母親、私、弟、妹)で

さつま芋堀りをしました。

 

さつま芋掘りなんて、本当に何十年もしたことがありませんが、

ウネの両側に大きく広げた蔓が何重にも生えて、

それを鎌でかき分け、蔓を取り去ってから

たぶん小さな草刈り鎌で、ウネの周りから土を掘って行って

芋を掘り起こします。

 

芋は大きくなっているので、周りから注意深く土を深っていって

だんだんと芋に近づいていくようにします。

芋を傷つけないようにしていって、芋を掘り出せるようにします。

 

そしてようやく掘り出せたさつま芋ですが、

一つ一つこんな感じで掘り出していくので、

一つを掘り出すのにもなかなか大変です。

保育園や小学校の体験行事としてなら楽しい労働ですが、

家の手伝いとして行う芋掘りは、家族の作業人数に比べた

掘らなければいけない芋の量は膨大です。

当時は、3ウネぐらい植えてあったのでは無いかと思います。

 

そんな中思い出す私の原体験は、母の私への言葉です。

 

「そんな、芋を色々見てないで、早くもっとどんどん掘っていきんよ。

かつのり見てみん、どんどん掘っとるで。」

 

たぶん、1ウネ1担当ということで、私と弟が1ウネずつ、

端から芋を掘って行ったんだと思います。

なので、自然と芋掘り競争になります。

 

弟は黙々とさつま芋堀りを進めて行って、どんどん進んでいるのに、

私の方が、それほど進んでいない。

そもそも競争ではないので急ぐ必要はないのですが、

母親からしたら仕事が捗っていないように見えます。

 

その時私は何をしていたのか?

 

実は、さつま芋を掘り出すごとに

「観察」していたんですね。

 

さつま芋の大きさ、重さ、先に掘った芋との

かたちの違い、色の濃さのなんかを見ていて、

掘り出すたびに、

「この芋は、一番大きかった」とか、

「この芋は、かたちがどうだ」とか、

評論していました。

 

中でも記憶に強く残っているのが、

さつま芋のあの赤色の濃淡です。

 

とても濃い赤色もあれば、部分的に色が薄かったりして。

 

何でこんなに色の濃淡があるのだろうか?

色の濃いところは、土の深いところで

少し湿ったところじゃないのか、とか

芋を見ながらいろいろと考えていたんです。

 

そして、母親から遠くそれを見られて、

なかなか捗っていない私の労働を咎めて

さきほどの注意になったということです。

 

振り返ってみると、この観察してあれこれ考える、

というのは全く今になっても

変わっていません。

というか、日常の多くがこの思考で日々過ごしている、

といっても過言ではないぐらい。

 

観察してあれこれ考える。

でもそこから何か行動をするわけではない。

 

三つ子の魂百まで、とは良くいったものです。

 

で、何でこの話題を取り上げたかといいますと、

今、長年の米株投資で思った以上の資産運用ができているので、

人は変わらない、と思うのと同時に、

人は変わらなくていい、という思いを新たにしてもいるんです。