第八章 当たらなかった予言


-さて、次は予知どおりにならなかった事例をおうかがいしたいと思います。


2007年11月に舞浜、2008年二月に川崎で起きるとされていた地震は結局起きませんでした。

これはどうしてなのでしょうか。


まず注意をうながしておきたいのは'夢の九〇パーセントは残念ながら、日付が前後にずれることはあっても当たっているということです。


たとえば、最近自分のホームページにも掲載したのですが'日本の沖合い100~200キロメートルのあたりでマグニチュード六・七の海底地震が起きると予知して、これは現実のものとなりました。


ただし、被害は少なくてすみましたが。現実が予知どおりにならなかった場合'それは残りの10パーセントに該当していたかもしれません。


もしくは日付がずれたのかもしれません。


また、日付は同じでも違う年のことだったという可能性もあります。


地震の場合はとくに複雑で、「〇年〇月〇日に○で○が起きる」という予知が出たときに'月日や場所などのいずれかが微妙に変わることはありえます。


日付は同じなのに場所が異なっていたことは以前にもありました。

また、同じ日に別々の場所で地震がほぼ同時に発生することもあれば、ずれることもありますし、どちらかしか起きない場合や、どちらも起きない場合もあります。


完全に外れるのは一〇パーセントだけとはいえ、該当することはあります。


そのあたりは正直言って自分でもどうしようもありません。


もちろん、わたしはいつも予知をするときに'外れの一〇パーセントのほうになればいいと思っています。


予知が現実にならないほうがむしろありがたいのです。


しかし予知が出た以上は、とにかく注意しなければなりません。


一見外れたように見えても'実際には外れの一〇パーセントではなく当たりの九〇パーセントなのかもしれないのですから。


年号が違っても、地震がその場所で起きる可能性は高いのです。

可能性を知ることによって人の精神がよい方向に変わることが大事なのです。


-----本当は百パーセント当たるのだけれど、身の安全を考えて一〇パーセント外しているということはないですか。


たしかに、百パーセント当たってしまったら、わたしは殺されてこの場にはいないでしょぅ。


本は売れるでしょうけれどね(笑)。


完ぺきな能力を持つ人間がいたら、この世では悪者扱いされて長生きはできない。


人であれば間違いをおかすのは避けられないことですし、それは大事なことでもあります。


わたしは神ではないし'神に近い立場になろうとも思わない。


あくまでも神を敬う人間に過ぎません。


予知の当たらない一〇パーセントは、わたしが人間であることの象徴と言えます。


心に語りかけてくる(助言者)もそういうメッセージを発しているのでしょう。


予知は外れるときもありますが、それはもちろん残念がることではありません。


本来はありがたいことであり、外れたことを祝うべきです。


本に記してあることで当たらなかったことは、そのひとつひとつについてほっとしたほうがいいのです。


読者のみなさんもわたしと同じように'幸せな瞬間を味わっていただきたいと思います。


-----二〇〇八年九月十三日に'日本か中国で大地震が起きる可能性があると言っていますね。
しかも、中国で起きる場合は被害が拡大するとのことですが。


そうです。


百万人以上の人が命を落とします。


最初に見たのは中国の夢でした。


その内容は'九月十三日に大地震が起きるだけでなく、どれだけの死者が出るのかという細かい点も含んだものでした。


しばらくしてから内容が似ている夢を見たのですが、今度は地震の起きる場所が日本の東海地方になっていました。


日付は同じでしたが、被害者の数は以前に見た夢より少なくなっていました。


この予知については'中国からたくさんの電子メールをもらっています。


手紙を出した当初はあまり反応はなかったのですが、五月十二日に四川省で大地震が起きてからは「あの地震を予知した手紙があった」と反響が広まとしかも今度は同じ人物が九月の地震を予知しているということで'「どうしたらいいのか」という質問のメールがたくさん届いています。


----どんな人たちからメールが届いているのですか。

本当にいろいろな人たちから届いていますね。


手紙の送り先である中国国家主席から直接返答がきたわけではないのですが、手紙を受け取った担当者から話が広がったのか、政府筋の人たちが個人としてメールを送ってくださっています。


香港に住んでいるある方は'「これからどうしたらいいのか教えてください。まわりにいる中国人に伝えたい」とおっしゃっていました。


中国在住者だけでなく、他国に住んでいる中国人からもメールが来ています。


これほど大きな反応があったのはやはり、予知と同じ日付と場所で地震が起き、死傷者数まで当たってしまったためでしょう。


「これはたいへんだ」と多くの方が感じたはずです。


手紙には四川省の大地震だけでなく'将来の出来事の数々についても注意を記しておきましたから、今後の支援を求められているのだと思います。


とにかく、予知夢で情報はどんどん入ってきています。


四川省の大地震は、あなたが予知していた九月の大地震が早まったのではないかと


いえ、これは違うものです。


「九月十三日にM七・八の地震が起きる」という手紙は、別の場所のつもりで記しました。


ただし、四川省で地震が起きたことにより、九月の地震の可能性は減少したと考えています。


もちろん可能性が消えたわけではないので注意は怠らないではしいのですが。


(※結局'日本・中国のいずれも九月十三日に大地震は発生しなかった)


わたしはしょせん人間ですから、今後起きることは止めることはできませんし、ひとりではなにもできません。


でも、明日のためになにをしたらいいのか、どのように実行したらいいのかを示すガイドの役割を果たすことはできるかもしれません。


中国の人に限らず'人類の受ける被害をできるだけ減らすように力を尽くしたいのです。


人類にはよい道を歩んでほしいし、そのための手助けをしたい。


問題の所在を伝えることで'みんなの力を合わせて、たとえ防止不可能な地震であっても被害が少なくなるよう、いっしょに対策を考えていきたいと思います。


----つまり'予知の当たり外れだけが問題ではないのですね。


そうです。


わたしと(助言者)は、地球に愛情を向け、災害に注意してほしいと呼びかけています。


予知をみなさんに伝えるのはそのためでもあるのです。


これから起きることを手紙に記しているのは'みなさんが生

活を見つめなおし、注意と愛情を働かせるのを願ってのことです。


もちろん予知は衆目を集めるものですがへ災害や事件の有無よりも、そのなかに含まれる霊的なメッセージがとても大事です。


手紙を読んだ方々には精神的な学びとしてとらえていただきたいのです。


宗教には聖書や仏典などの精神的な教則本がありますが、それらに登場する預言者は人間であと必ず間違いをおかします。


また、世界にはこれまでノストラダムスをはじめ予言者が数多く現れましたが、彼らもみんな神ではなく人間に過ぎません。


そして、間違いをおかすことが人間の証明にもなっています。


いう見方があるのですが。