●マーク・トゥエインの見た予知夢


『トム・ソ-ヤーの冒険』や『王子と乞食』などの小説で日本でも有名な作家'マーク・トゥエインは、本名をサミュエルエフングホーン・クレメンズといい、一八五七年にはミズーリ州ハンニバル市で、蒸気船ペンシルバニアの水先人見習いとして働いていました。


サミュエルは自叙伝のなかで'多くのページを割いて、一八五八年に見た弟ヘンリーに関する夢と不思議な体験を明かしています。


「蒸気船の人生で満足していてもよかった」と言う本人ですが、もし本当にそうなっていたら、この目を見張るような記録は歴史に残ることはなかったでしょう。


サミュエルの乗っていた船は'ミシシッピ川を航行してニューオーリンズ市とセントルイス市を行き来していました。


ハンサムで人当たりのいい二十一歳の弟、ヘンリーも'同じ船でボーイとして働いていました。


セントルイスでペンシルバニア号の出航が遅れた'ある夜のこと。


ヘンリーが船内の当直をする一方、兄サミュエルは陸の宿屋に泊まって'夢を見ていました。


夢のなかでは部屋に二脚の椅子が置かれ'鉄の棺桶がその上にまたがるようにして置かれていました。


なかを見ると'ヘンリーの遺体が横たわり、その胸に花束がのせられていたのです。


花の色は真ん中の一輪を除き'すべて白でした。


あまりに真に迫った映像だったので'サミュエルは朝日が覚めたときも夢だとは思わなかったそうです。


のちに彼はこう記しています1「(目が覚めたあとで)服を着て、ドアの向こう側を見ようとしたが、まだ母と会う準備ができていないと思ったのでやめた」。


そして'家を出て通りを歩きだしたころになってようやく'いま見たのは現実ではなく夢だったことに気づいたのでした。


サミュエルは夢のことを姉には話しましたが'ミシシッピ川を行き来するあいだ、ヘンリーにはいっさい明かしませんでした。


そしてサミュエルは'ニューオーリンズでレイシーという蒸気船に転属。



レイシー号はペンシルバニアが発った二日後に川をのぼる予定になっていました。


ヘンリーの乗るペンシルバニアが出航する前夜'サミュエルは川で事故が起きたらどう対処すべきかを弟に語って聞かせ'「自分を見失うな」「乗客のパニックに巻き込まれるな」といった忠告をし、また、救命ボートに乗る女性や子供に手を貸して、自分は岸に泳いでいくようにとも話しました。


兄弟が別れのあいさつを告げた数時間後、ペンシルバニア号は出航しました。


それから数日後、サミュエルが乗るレイシー号はミシシッピ川沿いのグリーンヴィル市に到着しましたが、そこでは悪いニュースが待っていました。


メンフィス市のすぐ南にあるシップ・アイランドで'ペンシルバニア号は爆発事故に見舞われ、百五十人の犠牲者が出たと言うのです。


最初に発表された死亡者名簿にヘンリーの名前は載っていませんでしたが'レイシー号が川をのぼって現場に近づくほど、状況は悪化。


メンフィスに着くころには、サミュエルのもとにはすでに、ペンシルバニア号の八基のボイラーのうち四基が爆発し、多くの乗員乗客が即死したほか'深刻な火傷を負った負傷者が多数いるという知らせが届いていました。


ヘンリーもその負傷者のひとりだったのです。


メンフィスで弟が息を引き取るのを看取ったあと、サミュエルは慈悲深い町の人たちの好意により,苦痛と疲労をいやすための休息の場所を用意してもらい、深い眠りに落ちました。


目覚めたあとで'多くの犠牲者の遺体が安置されている場所を訪れ、ヘンリーの遺体があるところへと向かいました。


現地の役所は犠牲者のために木製の棺を用意していましたが'メンフィスの女性たちは若さと美貌に恵まれたヘンリーの死を悲しみ、六十ドルを募って上等な金属製の棺を彼のために用意してくれたのです。


こうしてサミュエルは,二脚の椅子にまたがるようにして置かれ'ふたが開かれた鉄の棺を目の当たりにすることになったのでした。


唯一夢と異なるのは'遺体の胸に花束がのせられていなかったことですが、ちょうどそのとき、年配の女性が大きな白いブーケを持って部屋に入り、安らかに眠る青年の胸の上にそっと置きました。


花束には一輪だけ赤いバラが混じっていました。


サミュエルの夢は、こうしてもっとも悲しい形で実現してしまったのです。

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