●軍隊-米ソ軍事競争


警察や企業と同じように、いくつかの国の政府も超能力者の利用はたいへん有益だとみなしています。


アメリカとソ連が競争していた時代にも、超能力者たちは特別な能力で競争に参加していました。


一九八六年春、アメリカ政府の役人たちは'ユリ・ゲラーからソ連の開発内容を聞くため、ひそかに議事堂に集合したこともありました。


超能力による軍備競争に最初に火がついたのは、一九六〇年二月のことでした。


フランスの科学雑誌に'「アメリカ政府はテレパシーによるメッセージを送受信できる」という記事が掲載されたのです。


記事によると'デューク大学の学生はボルチモア市付近の研究所で'一日二回にわたり'テレパシーによって視覚的イメージを別の人に送ろうと試みたそうです。


メッセージを受け取る人物は潜水艦ノーチラスに乗艦し、海中で前もって決めた時刻に意識を集中させました。


十六日間にわたる実験の最中に描かれた絵は、七〇パーセントという驚異的な的中率を誇っていました。

信号の遮断や妨害電波などにより通常の手段では意思疎通が不可能な状況下でも、テレパシーはきわめて有望であることが示されたのです。


しかしアメリカ合衆国は'即座に記事内容を偽りだと発表しました。


ノーチラスの指揮官は'「実験が行われたとされる期間はまだ港から出航していなかった」と述べ、のちに記事の担当記者も'すべては茶番で'記事を書いたことをとても後悔していると告白しました。


しかし'それはかえってソ連に怪しいと思わせる結果を招くこととなりました。


ソ連から亡命してきたある物理学者は'大学院生時代'記事の騒動があったころはとても慌ただしかったと話しています。


ノーチラスの報道を開いてもっとも喜んだのは、ソ連のレニングラード大学に勤めていた高名な生理学者、レオニド・バジリエフでしょう。


ソビエト医学学会の一員で'レーニン賞を受賞したこともあるバジリエフは'「もしアメリカ人が本当に超能力を軍事目的で利用する実験をしていたのなら、愕然や落胆ではなく視福をもって迎えるべきだ」と語りました。


じっは'バジリエフは一九二〇年代からひそかにテレパシーを研究していました。


当時のマルクス主義は'霊的次元とのかかわ-があると思われるものはすべて存在を否定していたので、ソ連では超能力研究は反革命的とみなされ、禁止されていました。


そんななか、アメリカの実験報道はバジリエフに希望をもたらしたのでした。


報道から少ししてから、バジリエフは科学会議でこう述べています。


「これは人類にとって重要不可欠な分野だ。
探求にふたたび身を捧げる必要がある」


まもなくして、バジリエフはレニングラード大学から正式に、テレパシー現象を研究する超心理学特別研究所の責任者となるよう辞令を受け取りました。


一九五七年にソ連が人工衛星スプートニクを打ち上げたことでアメリカの宇宙開発計画が後押しされたように'ノーチラスの超心理学実験は、ソ連における超能力軍備開発に刺激を与えたのでした。


バジリエフは、超感覚的知覚を生み出すエネルギーの発見は、原子エネルギーの発見よりも重要だと確信していました。


最初はテレパシーは電磁放射によって媒介されているという前提で実験をしましたが、その前提は誤っているという結論も得ることができました。


バジリエフは'テレパシーによって人の行動や考えに影響を与えることに関心を持っていましたが、この研究を発展させると、敵の心理を操作する軍事的利用に行き着いてしまいます。


人間はなんと大それたことを思いつくものでしょうか。


このように、超能力は過去から数多く研究され'また実際に使用されてきました。


あまり知られていない事実だと思いますので、ご参考までに本書の最後に掲載させていただきました。