21世紀の歴史――未来の人類から見た世界/ジャック・アタリ
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4--〈帝国の秩序)から(相場の秩序)へ


六〇〇〇年前'王国が巨大化するにつれ'領土に点在していた村や部族は統治されていった。


神聖な宗教は力をもつ軍隊の前に消え去った。


王国での人々の労働は暴力によって強制されていた。


収穫余剰をもたらす知識が重宝された。


モノが固有の名前や人格をもつことはな-なった。


つまり'モノは単なる交換可能な加工物や道具となったのである。


大部分の人々は'ひと握りの人々が自由に暮らすために奴隷として働いた。


王国や帝国のリーダーたちはう王・祭司・将軍であり'彼らは時間と軍事力を管理し'生きた神であった。


彼らだけが名前を刻んだ墓石の下に葬られることを許された。

他の者たちは無名のままで死んでいった。


王こそが個人という概念の誕生のきっかけである。


また、独裁者こそが自由への願望を目覚めさせた人物である。

余剰を管理するようになるとち帝国の地位が固まりへこの余剰によって帝国は他国からの防御や'他国を攻撃することが可能になった。


戦略的流通経路を確保してい-ための十分な余剰蓄積を怠ると'帝国は衰退した。


おそらく歴史上で最初の年号となる紀元前二六九七年へ最初の皇帝となる「黄帝」が中国北部を統治した.


同時期に'そこから少し南の山東でロンシャン(龍山)文化が根づ・3たo


そこでは西安のように地盤改良された土地の上に'城壁によ-保護された集落と公国の組織がありへ牛や羊を飼育し'小麦や大麦を栽培した。


その後、この地域一体は混乱に陥り'数多くの王国が入り乱れることになる。


同時代にエジプトでは'記録に残っている最初の西洋の王子であるメネス王が上下エジプトを統一Lt王の栄光を称える石でできた記念碑を建造させた。


「インドーヨーロッパ語族」や「トルコ人」と呼ばれる人々は'インド北部やメソポタミアに文明を生み出した。


また、「トルコ人」や「モンゴル人」は、メソポタミアの土地に都市国家を建設した(ウル'シュメールへニネベ'バビロン)


梗形文字という新たな革命的発明により、はじめての神話の一つとされるギルガメシュの叙事詩が書かれたが、このなかで歴史の原動力とは欲望であると記述されている。


これはこの地域一体の神聖なる文章の原型となった。


同時期にインドでは'欲望を否定する新たな世界観や倫理を示す文学作品『ウパニシャッド』が書かれた。


ここからも現代の二つの大きな世界観は'すでにこの時代から根づいていたことがわかる。


二〇〇〇年前、エジプトは衰過し、アジア地域から馬と二輪馬車でやってきた好戦的なヒクソス部族が支配Lへ彼らは新たな古代エジプト王朝を作-上げた。


アーリア人、モンゴル人、インド・ヨーロッパ語族(スキユティア人次にサルマティア人)、トルコ人(旬奴族とハザル族)は'地中海地域、中国へシベリアへ中央アジア、インド北部に都市、宮殿、城壁、要塞、芸術品、武器、宝石、宗教儀式、官僚制度などを作り上げ、洗練された文明を発展させていった。


すべては軍事力による生産余剰の収奪によって組織された。


当時すでにもっとも人口の多い地域であ-'活気があ-'商売が盛んに行なわれていた中国では'冶金技術が登場し'また亀の甲羅には'絵のような文字が描かれた。


陰と陽による'また五つの要素から世界の成-立ちを説明する思想が確立Ltこれは陰陽五行説として発展していった。


神話伝説としては「黄帝」が登場するがへその実在は'夏王朝と同じ-定かではない。


次にこうした文明は'これまでと同様に覆され'また七ばしぼしば、前文明の痕跡を執劫に消し去っていった。


エジプ-では'クフ王が自らの名前を冠したピラミッドを建造させた。


バビロンでは紀元前一七二九年へハムラビ王が彼の名を冠した慣習法を制定し'その後ヒッタイトの襲撃を受けへバビロニア王国は滅亡した。


中国では商(敬)王朝が誕生し、建築や銅の冶金の技術が発達し'供蟻の食器を作-'亀の甲羅を使った占いが行なわれたO


インド・ヨーロッパ語族(トカラ人)は中国に二輪馬車を持ち込み'中国の中央アジア支配を確かなものにした。


アメリカやアフリカでは、車輪や馬などを発明することもなくその地域の天然資源の枯渇させることによって、い-つもの文明が消滅した。


紀元前二二六四年、風変わりな王として有名なアメンホテップ四散は'イクナ-トンと名前を変え'しばらくの間、一神教を認めた。


それから少し後の紀元前二一九〇年には、その後継者の一人であるラムセス二世がメソポタミアから来たヒッタイトを押しやり、エジプト領土をこれまでにな-拡大した。


地球上では、この段階で五〇以上の帝国が交信しあい、戦火を交え、お互いに消耗した。


広大な領土をさらに拡大させる各帝国をまとめ上げていくことは国難になった。


帝国にはさらに多くの奴隷、兵士、領土が必要となった。


帝国の秩序自体がその意味を失い始めた。


すなわち、力だけでは不十分となったのである。


同時期に'アジアからやって来たい-つかの部族は'これらの帝国に囲まれた地中海沿岸やその島々に定住した。


彼らは'要塞のなかでバリケードに守られて農業の周期的な作業に従事していたこの地域に住み着いていた人々とは異なっていた。


彼らミケーネ人へフェニキア人.・ヘブライ人たちは変化を好み、これを「進歩」と捉えた。


地中海に住む彼らは'先祖を彼らの神と共にとりなす者として崇め、大地を神格化して崇拝したが'生きている者の政治的・経済的権利によってのみ誓いを立てた。


というのは'商業とマネーが彼らの最大の武器であったからである。



海と港が'彼らのおもな狩猟現場となった。


こうして帝国の秩序の真ん中に'ご-小さなマージナルでまった-新しい社会が'自由というアイデアを基盤として誕生した。


これが後に(市場民主主義)へすなわち市場の秩序となる。