- 未来ビジネスを読む (ペーパーバックス)/浜田 和幸
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Intro duction
はじめに
あなたは10年前、今の自分をどこまで想像forecastできたであろうか。
あるいは、あなたは今、 5年後の自分をどれだけ具体的に思い浮かべるimagespecificallyことができるだろうか。
おそらく、 「そんなことを突然言われても、答えられない」と言う人が大半であろう。
なにしろ、明日のことも定かではない時代た.
いつ大地震big earthquakesが襲ってくるかもしれない2004年12月、インドネシア・スマトラ島沖で発生した地震はマグニチュード9.
大津波と合わせた破壊力は広島型原爆2万個以上分に相当し、地球全体が激震に襲われた。
日本への影響も懸念される。
死火山といわれた富士山がいつの間にか休火山となり、いつ大噴火greateruptionが起きてもおかしくないという。
また、テロや犯罪に巻き込まれたり、SARSや狂牛病、鳥インフルエンザなど、新たな感染症にかかる危険riskofterrorand epdemicは、かつてないほど高い。
さらには、自分の勤める会社が突然、倒産bankrupt Lたり買収mergerandacquisitionされたり、リストラの対象になったりすることも急速に増えている。
かつてのような「終身雇用、年功序列、家族主義」(lifetime employment, seniority system, and familism)といった古き良き時代の日本的慣行は消え去ったO今や「テンポラリーの時代thetimes oftemporary」。
すべてが「その場しのぎ」である。
何が起こるか先が読めない。
だから、今必要なだけの労力を時間で買う。
先のことは問わない。
急増するフリーターもニートも、そんな時代の落とし子fruits of the timesといえよう。
誰もが危険や不安と隣り合わせの生活を余儀なくされていながら、その予防策preventive measuresもリスク管理riskmanagementの発想も持っているとは言いがたい。
とにかく、恐ろしいこと、考えたくないことには、目も耳もふさぐ。
「明日から会社に来なくていい」と、前触れなしの宣告を受けるような「雇用氷河時代」になった。
「家庭崩壊の時代」でもある。
10年前の自分を振り返り、 5年後の自分を想像する余裕など、もはやない。
時代の流れtrendや運命destinyには逆らえない。
そう考えても不思議ではないように思える時代になった。
しかし、本当はその逆なのである。
さまざまなリスクや悲劇は、自らが己の未来に主体的pro-activeに向き合ってこなかった結果に過ぎない。
自然災害にせよ、会社の倒産にせよ、個人的不幸にせよ、すべての結果には原因causeがある。
そして、結果が生まれるまでには、予兆というシグナルが何段階にもわたって発せられている。
病も同様である。
発病する前に、必ず前兆がある(Coiningevents cast their shadows before them.)はず。
ただ、そのシグナルに気づかない。
あるいは、気にはなっても無視してしまう。
要は、危機crisisを察知するレーダーの感度が鈍っているか、スイッチが入っていないかなのである。
ともかく、いかに徴かな前兆といえども、見過ごさないことが肝要nitty-grittyなのだ。
その注意力こそが未来創造future creatingには欠かせないのである。
その機能が麻樺したり、故障したりすれば、個人においては家庭崩壊や病気が起こる。
企業においては倒産となる。
もし、国家に起これば、ソ連やユーゴスラビアのような国家分裂、国家消減というわけだ..
いわゆる「後の祭り」 ``belatedeffort"ということになる。
「未来学」 futurologyとは個人や組織、そしてビジネスが直面するリスクを事前に察知し、予期せざる衝撃や被害unexpected shock and damageを未然に防ぐための実践的学問である。
日本では学問としてもビジネスとしても確立していない。
しかし、欧米では教育の現場でも、政治、経済、軍事など実践的な分野においても、ヒュ-チヤリスト(未来研究者) futuristの活躍が目ざましい.
そのベースには「未来は自らの手で勝ち取るもの」という狩猟的発想がある。
日本人によく見られる「未来は自然にやってくる」という受け身的発想とは大いに違う。
もちろん、いずれの見方にも長所、短所はあるのだが。
とはいえ、バブル崩壊以降、 「失われた10年」 "ALostDecade"が間もなく15年になる日本。
このまま、受け身の態勢を続ければ、たちまち「失われた20年」となり、日本は永遠に未来を失いかねない。
本書でも紹介してあるが、 R本にはいまだに世界を圧倒する資金力capitalや技術力technologyの蓄積がある。
その上、勤勉diligentかつ正直honestという歴史的にも稀な国民性という財産もある。
欠けているのは、 「未来を奪い取る」という貧欲な姿勢と行動力である。
言い換えれば、日本では個人も組織も、慣れ親しんだ情報informationや価値観valuesを必要に応じて切り捨てる勇気に乏しい。
その点、漂流driftingを続け、不安に駆られる日々を送る人々に、現状を正視する視点を与えてくれるのが、 「未来学」に他ならない。
未来という時代を縦横無尽に疾駆するには、歴史の流れを把握し、"望ましい未来 desirable futureや"おぞましい未来 dismal future のシナリオを常に思い描く想像力が求められる。
大事なことは、複数の未来のシナリオを常にポケットに潜ませておくことだ。
何が起こっても、手持ちのシナリオから最も効果的effectiveなものを取捨選択して素早い対応quick responseに生かす。
本書は、 「未来学」の過去、現在、未来を展望した上で、今後10年から25年の問に起こるであろう地球環境やビジネスの変化を先取りするものである。
そのため、さまざまなシナリオや未来予測のノウハウを紹介してみた.
その上で、実際の未来ビジネスの現状や課題にもスポットライトをあてている。
「夢物語」 "fantasticstory"と思えるようなアイディアも多い。
しかし、すべて新しい技術や商品はコンセプトの段階では夢物語であった。
恩えば、 「インターネット」 theInternetでさえ、アイディアが生まれたのは35年前。
普及したのは、この10年である。
携帯電話celluar phoneしかり。
発明されたのは1973年だが、一般にこれだけ広まったのはたかだか5年前のこと。
飛行機でさえ、2003年に100年目を迎えたに過ぎない。
アメリカだけで2003年に特許申請された新技術は35万5000件を超える。
このような発明innovation、特許patentの山のなかには、これからわれわれの価値観やライフスタイルを一変させるようなニュー・ビジネスのアイディアが数限りなく眠っている。
その一部を本書でも取り上げてみた。
想像力をたくましくするのは、未来と向き合う第一歩the firststep to facethe futureである。
お楽しみ頂きたい。