昨晩のPTSで本日のストップ高値での取引を見て
今日もストップ高への期待は膨らんだが
期待は外れ寄ってしまう。
それでも一撃51万円の実現利益は破格である。
実に給料4か月分に相当する。
このお金があれば年内暮らせる・・・・
超絶嬉しい、言葉にならず
「勝って驕らず、負けて腐らず」
音読100回である。
焼肉やビールなどの贅沢は止めておこう
生活水準が上がってしまう・・・
デイトレは2連敗、15000円の負け
言い訳がましいが、難易度高すぎる
本来なら暴落中で売りっぱなしの
一方通行だが、日銀ETF介入にびびり
逆張りも出来ず・・・・・
夏枯れ、ハイボラ相場は難しい
(簡単なときなどあるのか?)
スイングトレードはソニーとトヨタを
たっぷり売り持ち越し(現時点で失敗)
あまりにダウ先が不穏で、本来なら底買い
チャンスだが諦めました。
もう満足感で一杯・・・・・
早く祝杯を上げたい。
今日ぐらい早く呑んでもいいのかな?
皆さん、今日も一日お疲れ様でした。
明日もがんばりましょう
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」
12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 15:19:07.77 ID:uDaXQgOz0
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。
カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 18:03:50.58 ID:jpiaCPVS0
>>12は本当にあったんだな
ずっとネタかと思ってたのに
ttp://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/news/2006/0721-20.html
今日もストップ高への期待は膨らんだが
期待は外れ寄ってしまう。
それでも一撃51万円の実現利益は破格である。
実に給料4か月分に相当する。
このお金があれば年内暮らせる・・・・
超絶嬉しい、言葉にならず
「勝って驕らず、負けて腐らず」
音読100回である。
焼肉やビールなどの贅沢は止めておこう
生活水準が上がってしまう・・・
デイトレは2連敗、15000円の負け
言い訳がましいが、難易度高すぎる
本来なら暴落中で売りっぱなしの
一方通行だが、日銀ETF介入にびびり
逆張りも出来ず・・・・・
夏枯れ、ハイボラ相場は難しい
(簡単なときなどあるのか?)
スイングトレードはソニーとトヨタを
たっぷり売り持ち越し(現時点で失敗)
あまりにダウ先が不穏で、本来なら底買い
チャンスだが諦めました。
もう満足感で一杯・・・・・
早く祝杯を上げたい。
今日ぐらい早く呑んでもいいのかな?
皆さん、今日も一日お疲れ様でした。
明日もがんばりましょう
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」
12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 15:19:07.77 ID:uDaXQgOz0
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。
カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 18:03:50.58 ID:jpiaCPVS0
>>12は本当にあったんだな
ずっとネタかと思ってたのに
ttp://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/news/2006/0721-20.html