政府がLTTE(非政府組織)と津波復興に関する協定を結ぶことに対して、協定への反対派のデモを中心に数日前よりColombo市内が騒がしい。津波復興にたずさわっている国際機関やNGOも標的になる可能性があるらしく、14時までに職場を離れ、自宅待機を命じられる。

しかしながら、Panaduraでの開所式があるためCチーフ、R姉御と共に参加する。途中、テロの標的にならないように、所属機関名の書かれたボードを車からはずすようにと携帯に連絡が入る。1時間ほど南に下ったところにあるPanaduraは静かで、危険な様子はなかった。

今日の現場は、市民グラウンドに254戸の仮設住宅が建てられた。そう、赴任してすぐに配置図を準備した場所。炎天下の中、66フィート(約20m)のメジャーを頼りに敷地の大きさを測ったこと(4/18参照)が思い出される。式には、在日本大使館の公使(大使の次に偉い人)も来られて、挨拶を頂戴する。大掛かりすぎるからか、大工養成学校での開所式(6/9参照)のときのような感動はなかったが、一つのことをやり遂げた実感を得ることができた。

夜になってS君、D君と帰国するP師匠に会いに行く。1時間ほど、話し込んで別れる。みんなP師匠を慕っていたことを再確認する。アメリカ人Tさんの送別会に参加した後、クラブに行き、朝まで騒ぐ。夜が明けてから帰宅。