
宿で7時過ぎにW君と朝食を食べたあと、Arugam Bayを後にする。Ampara事務所でM氏と落ち合い、Batticaloaに向かう。途中で、出張帰りのAmpara現場事務所のS所長の車とすれ違う。車を停めて挨拶をする。
スリランカで被害が最もひどかったと言うKalmunaiに立ち寄る。イスラムのコミュニティが形成されていた地域で、ブロック造の住宅が密集していた。柱に配筋等の構造補強はなされておらず、津波による横からの力に崩れさった模様である。東海岸は、海岸線より200m圏内がBuffer Zoneとして、建築制限がかかっている。その地域一帯に椰子の木を植えよう!という“Green Project”がNGO団体を中心に始まっている(写真)。数年、数十年後には、廃墟から伸びる椰子の木を見ることになる。
Batticaloaの現場で、現場担当官と会う。土壌に砂が多い地域のため、基礎がうまく施工されていないことを説明する。自分も経験不足のため、P師匠が用意した図面以上のことは説明できないのが、心苦しい。
車をAmpara事務所のものからBatticaloa事務所のものに乗り換え、Batticaloa事務所を目指す。途中で、Batticaloa現場事務所のS所長とすれ違う。車を停めて挨拶をする。どの車にもうちの機関を示す大きなサインをつけているので、お互いに一目瞭然である。
Batticaloa事務所に到着する。挨拶をし、仕事のメールをチェックする。急ぎの用事はなかったので、Colomboに帰ってから返事することにする。Batticaloaの他の現場に行き、強風に屋根があおられそうになっている状況を確認した後、急いでTrincomaleeを目指す。Plonnaruwa、Habaranaを経由して、Trincomaleeに着いたのが、22時前。10時間以上車に乗っていた。
M氏と遅い夕食をとる。この仕事が終わったら、母国のスリランカを出て、カナダに移住する計画を進めていると話してくれた。いつ内戦が再発するかわからないこの国で、低賃金でおびえて暮らすよりも、新天地に平和な暮らしを求める決断をしたとのことである。M氏のような優秀な技術職員が、どんどんスリランカから去っている(R親方に以前尋ねたところ、大学(工学系)の同期(1975年卒)で国内に残っているのは、5%にも満たないとのこと)。国を再建しようとするときに、この現状では厳しいものがある。