
朝、事務所に寄ってから160km先のMataraに向かう。途中休憩しながら3時にMataraに到着。今日の運転手Rさんは顔なじみだったので、新しいシンハラ語をいくつか教えてもらう。
今回は、スリランカ人の技術職員がMatara現場事務所に配置されるまでの間の現況把握と建築的な問題への対応のためにやってきた。まずP所長に挨拶し、1時間ほどの説明を受けた。都市部のColombo周辺と違って、地方のMatara周辺は比較的土地があり、被災者の敷地内に1戸、1戸建てているのが特徴である。したがって、ほとんどの場所で配置図や集会所などは必要とされない。
Matara事務所の職員らに自己紹介をした後、役所の担当課に挨拶に行き、新しい現場の図面をもらう。ここで、韓国政府から派遣されでMataraの役所に来ている韓国人の技術者3名と出会う。現地の早くはない復興のペースに、かなり時間をもてあましている様子であった。ここで着工が遅れている理由には、支持調達の遅れにも原因があるが、住む場所を移らなければならない被災者との合意形成に時間がかかったようである。
現場事務所に戻るのに玄関先で車を待っていたら、役所の課長さんがバイクで通りかかり、「送ってやるから後ろに乗れや」と、なんと気さくな雰囲気。「迎えの車が来ますので」、とやんわり断ると、「それじゃあ、それまで一緒に待っててやろう」と、親切心があふれている。しばらくすると、車がやってきて、現地職員L君の案内で既に建てられた仮設住宅をいくつか回る。ここMataraでは、被災者の庭先に建てられた家が多い。仕上がり具合を見ていると近所からの人だかりができて、なんだか恥ずかしい。「田舎だから、日本人が珍しいんだよ」とL君のコメント。
現場事務所に帰って、P所長に報告と明日の予定を検討する。その後、ColomboのP師匠に今日あったことを、電話報告する。「そうかそうか、何事もなくてよかった。現場事務所の雰囲気は、本部と違ってええやろ?くつろいでこいや」とのご返事。それにしても、やはり電話で話すのが一番難しい。
夜は、現場担当官のカナダ人Nさんが定宿としているBeach Innに泊まる。リネン関係がないとはいえ、素泊まり800ルピー(約800円)とは耳を疑う。海岸より10mしか離れていない。津波で一階の部屋の壁は崩れたが、宿泊者、従業員ともに命は助かったとのことである。RCのラーメン構造の建物で、一階部分の大半がピロティになっており、水が柱間を通り抜けたため、被害が少なかったらしい。また、庭先に立派な椰子の木が密に茂っているため、津波の衝撃が和らいだと思われる。
宿の経営者の息子I君が、夕飯を運んできてくれたときに、「いやー、死ぬかと思ったよ~」と、アルバムにした被害状況の写真とともに当時の様子を詳しく教えてくれた。「津波の直後にCNNなどの海外放送局のインタビューを数え切れないほど受けたけど、あの時は表現する言葉が見つからなかったな~」とあっけらかんとしている。自宅が倒壊し、知人もたくさん亡くなったのに、その明るさはどこからくるのか複雑な気分になった。
(写真は、Galle中心部。津波の被害報道で、濁流に飲み込まれる人々の映像が撮られたのはこの場所とのこと)