続く3月11日はちょうど一年の節目の日を迎え、心安らかに過ごされたいと
いう事でボランティア活動は全面中止。
代わりに被災した各地を回り県北の別のツアーで花を植えたボランティア活動を
視察するという慰霊と学びの時間を過ごしました。
まずは復興のシンボルとなっている奇跡の一本松へ。

残念ながら塩害によって枯れてしまったのですが、唯一津波に打ち克った松と言う事で
そのまま残されるのだそうです。根元には小さなお地蔵様が安置されていました。
私たちもしばらくの間その場においてしばらくの間黙祷しました。
帰り道、偶然朝ズバの収録でみのもんたと話をされていた戸羽市長に出会い
事情を知った
市長さんからその場で特別にお話を頂くことが出来ました。※参考記事「絶望」を乗り越え、ゼロから世界に誇れる町を創る――陸前高田市・戸羽市長
『47年生きてきて、初めて絶望の意味を知った。しかしそんな中で自衛隊の救援
の車が来て水が来た、おにぎりが手に入った・・・と言う所からスタートして
全国の皆様からの支援で何とかここまでやってこれました。
これから仮設住宅を出た後に、高台移転で高台を削り新しい街を作ったり
残土で嵩上げしたり・・・とやる事はたくさんあります。
ある海外の新聞に“トラブルメーカー”と書かれましたが、国に対して
言うべき事は言っていかねばなりません。
ぜひ復興した陸前高田の街で皆様をお迎えしたい。その為にも細く長く
支援の手をお願いします。』
そういった話を伺った後、私たちに対して深々と頭を下げて見送って頂きました。
ご多忙の中お時間を頂けてその場でお話しを伺うことが出来た私たちこそ頭を
下げるべきなのに・・・。
発せられる言葉一つ一つが重く価値のあるもので、真のリーダーとはかくあるもの
だという事を体現されていたように思えました。
(※本当に個人的な余談ですが、この市長さんは町田の鶴川出身との事。
一番尊敬する白洲次郎氏が戦中~戦後と世界を俯瞰する場所として過ごされいて
また今の自分を作ってくれたきっかけを生み出したある先輩の地元だったりも
します。その先輩も両親が岩手の方らしく、白洲次郎氏も東北電力会長として
縁あったことを考えると卓越したリーダーを生み出す風土がそこにはあったのか
もしれません。色々と不思議なゆかりというか縁を感じました。)
その後、釜石~大槌~宮古と沿岸部を北上。
花を植える活動を見た後に、浄土ヶ浜で2時46分を迎え黙祷。
このツアーを企画したコーディネーターの方自身も被災者で、津波から間一髪
逃れてから色々紆余曲折を経て前を向いて歩みを進めている話を移動のバス中
で伺うことが出来ました。
“想いの差は案外小さいけれども、皆さんは一歩踏み出すことが出来た。
この行動の差は非常に大きく、さらに継続して行く差はもっと大きい。”
こう仰られていたのですが、このツアーに参加して物事を立体的に理解して
小さな一歩でも前に進むことに貢献した考えるとその通りだと思いました。
私自身の震災体験としては、鉄道がマヒして6時間かけて寒い中歩いて帰り
家のドアが壊れて1週間吹きさらしになり、原発がメルトダウンし余震が続く中
、計画停電も喰らいつつしばらくの間3時間しか眠れないなか仕事が急増して
毎日終電で帰ったり・・・と文字通り発狂寸前の状況まで行きかけました。
今振り返ると我ながらよく持ったものだと感心しますが、それが故にこの現状を
見て傷の大きさを実感を伴って感じると同時に、その中から前に向かって歩み
を進める方々の希望の力強さをひしひしと感じる次第です。
「三陸はただ単に悲劇の場所なのではなく、困難を乗り越える為に日夜奮闘する
リーダーが毎日沢山のドラマと教訓を生みだしているとてもダイナミックな地域に
なっています。今、ここで生まれているドラマや教訓は今後、日本が直面する困難
にも打ち勝つ大事なヒントがあると思います。そして何より、その感動する内容が
私達に生きる活力を与えてくれるのです。」というコーディネーターさんの言葉は
疑いようのない真実であると断言できます。
立場の違いを超え共に同じ時間を生きる者同志、意識と目標を共有した時に初めて
“絆”・・・~マスコミがお手軽に使う表面的な共感ではなく、困難と変化に立ち
向かう強い意志としての連帯意識として~・・・が生まれるのではないか。
そう感じることができる貴重な体験を得ることが出来ました。
今後とも自分にとってどういった貢献ができるのか考えつつ継続的に行動して
いこうかと思います。
