きょうは
娘っこ7歳の誕生日。





いつもお世話になっている両親との
お祝いパーティーは週末に済ませたけれど





とにかく娘を喜ばせたくて、
仕事帰りにナイショでバラの花束買って、
まるで王子様気分で帰路につきました。













花屋さんを出たら、
最近のんびり眺めていなかった
秋の夕暮れの空の色。







それはそれは
何とも言えない色と光と
さっと刷毛でひとはきしたような雲とが
たまらなくうつくしくって、




ああ。
娘が見せてくれたんだなあ、


と思いました。














きょうはたまたま、
夕暮れの空の色 だったけど






それはきっと毎日のことで










娘がこの世に居なかったら、



わたしが決して
見ることのなかった景色



決して
触れることのなかった世界



決して
つながることのなかったご縁






それらが
いっぱいいっぱいあふれている。






それこそが、
いまのわたしの日常。








もちろん
わたしにとって
子どもたち一人ずつがそうであり、
夫の存在にも同じく言えること。









そして、
産んであげられなかったいのちにも。







いまは哀しさや申し訳なさだけでなく、
そばに居てくれる家族と同じだけの
穏やかな感謝と愛情を感じます。








かれこれ十数年経った今でも、
哀しさと申し訳なさは変わらず
じつはずうっとある、あるのだけど








それはもう、
いつまでもあってもよくて




消すようなものではないし




消そうとして
消えるようなものでもない







それとともに
わたしはわたしとして
在ればいいのだ、と思っています。









だって、
そういうふうにしか
生きられないんだもん。笑












ただ、そこに


こんなこと起こらなければよかった、
という後悔や


わたし、可哀そう、
という悲劇のヒロイン感を
くっつけなくなったから


すごくすごく楽に、軽やかに、
いまは生きていられるなあと感じます。







それはもちろん
そこの気もちをやりきったからだし、

そのわたしの表現に
付き合ってくれた人が居たからだし、

いまはくっつけなくなった気もちも
とても大事でかけがえのないものだったな、
とすなおに思う。

もういらないけどね。笑








話がとても長くなってしまった。


きょうは、
そのことを考える気分な日でした。


お風呂からゆるんで、
しずかに泣いたり泣き止んだりしながら、
このblogを書いています。







きょうのお風呂は、
もう自分ではまったく買わなくなったけど
思いがけずギフトで頂いた入浴剤↓を♡






なんと
きょうお義母さんから届いた荷物のなかに


今月、来月と誕生日続きな
子どもたちへのギフトだけでなく、


わたしと母へのギフトも入っていたのでした!






みんなが寝静まって、
ひとり湯船に浸かったら


きょうの帰りにみた
夕暮れの空の色と同じ
淡いピンクとオレンジのあいだみたいな
やさしい、やさしい色のお湯になりました。







ちょうど
きょうのブーケの色にも似ている。








そうそう、


わが母も
娘っこへの花束を準備してくれていたので
花器が急ににぎやかなことになっています。






母も
もしかしたらそうするかもなあ、



と思っていたら
やっぱり予想通りでした。笑









娘、おめでとう♡





わたしたちのところにうまれてきてくれて、
元気にのびのびと育ってくれて、ありがとう♡










読んでくださってありがとうございます🌟