一昨日の朝、
用事があって




いつもは車で行くところを
次男くんを預けて、あえて徒歩で。











用事と用事のあいだが
まあまああったので


そのあいだも
いつもは通らない道を歩いたり。



 









長男がいつも歩いている道を


娘が春から歩くであろう道を
 






一人で歩いて、
人とすれちがう新鮮な感覚。














いまでは
すっかり逞しくなった長男だけど、







1年生の頃は
朝泣きながら出かけることも多くて






そんな状態で
学校までたどり着けるかしら





すぐ車に轢かれるんじゃないか、
とか笑





気が気でなかったな。











それでも


わたしが自転車に乗り始めた頃のように


わたしが高校で寮生活を始めた頃のように


わたしが大学で一人暮らしを始めた頃のように


わたしが車を運転し始めた頃のように











家や親から離れて



そのほかの
たくさんの人と交わって


困ったり
驚いたり
悩んだり


助けたり助けられたり
好かれたり嫌われたり


力を発揮できたり
できなくて悔しがったり









そうしながら




じぶんの世界を
物理的にも精神的にも
だんだんと大きくしていき


じぶんや人や 
この社会や
この世界を


その輪郭をなぞるようにして


すこしずつ すこしずつ
知っていくのだよね。













わたしも
ひとりの親として


信じることの大切さや難しさ
見守ることの覚悟を


たくさんたくさん教えてもらっているよ。












毎朝、毎夕
どんな気もちで歩いているんだろう?












そう想いを馳せると
じんわりと涙が出そうになるけれど







わたしにしか
わたしの世界は生きられないのとおなじように





子どもたちにしか
子どもたちの世界は生きられなくて





わたしは
そのすべてを知る必要もないのだ。









そして
すべてを知ることなんてできないしね。














それでも




何かに困って
じぶんの力では
とても解決出来そうもないときや


何かに悩んで
じぶんなんて価値がない、
とふさぎこんでしまうとき




わたしや夫や
ほかの家族のだれかに

話してくれたらいいなあと思う。


















話してくれなくてもいい。





わたしがわたしのままで
あなたの隣に居て


抱きしめたり
お茶を飲んだり
美味しいもの食べたり



ただ ただ
一緒に時間を過ごそう。

















長男は緑茶がとてもすき。






最近は
淹れてあげるのではなくて、





茶葉を急須に入れるところから
一緒にやってみるようにしている。
  











淹れてもらうお茶も美味しいけれど



茶葉をすくい上げた時の薫りや
サラサラとしたお茶の葉っぱの感触



注ぐお湯の湯気のあたたかさ



急須に蓋をして待つ時間



 
そして
湯呑に注いだときの
出来上がりのやさしい薫り。







その過程のぜんぶが
とても贅沢で とてもゆたかだと
わたしは思っているから




一緒に感じて 味わえる時間は
とても大切だなあと思っています。












長男は

「塩舐めたい」とか
「ハチミツ舐めたい」とか

感覚を味わうことを
自然に大事にしているひとなので







茶葉を急須に入れる行程は、
とてもすきみたい。







お茶の袋に鼻を突っ込んで
よくフガフガしています笑
















なんか
最初に頭にあった書きたかったことと
書き終わりがきょうも全然ちがいましたが笑





またそれはべつの機会に♡













日に日に長男に似てくる
ぷくぷく次男くんを見ていると






長男の頃にしてあげられなかったこと


長男の頃によかれとやりすぎていたこと







そんな未熟なわたしのすべてを
受けとめるか 受け流すか笑 して


長男がまっすぐまっすぐ
すなおに育ってくれていること









そして



そんな長男や娘とともに
次男くんの成長を感じていられるいまが



なんて贅沢な、
ご褒美のような日々なんだろう



と心から思います。












いつも読んでくださってありがとうございます♡





素敵な満月の日を⭐