きょうは朝から、


会いたかった人に たまたま会えた。




  






まえにあった時、
その人はわたしに


その人の子どもの成長について
教えてくれたのだけど










そのことがわたしは
ものすごくうれしくて、



実際にその子の成長を
最近、目の当たりにしていたので
そのこともとてもうれしくて、









ともかく
次に会ったら



あなたのお子さんのことを
教えてくれてありがとう

 

と、伝えたかったのです。












じかに伝えることができて、
とてもうれしかったなあ。










そしたらその人は



いつも ありがとう



と返してくださった。


















わたしは何もしていない
 


うれしかった話をしてくれたのは その人
 


わたしは
こちらまでうれしいな と思って
ただ聴いていただけ











わたしは何もしていない



じぶんの力でがんばって歩いたのは その子



わたしは
こちらまで力が湧くな と思って
ただ見ていただけ












わたしは何もしていない



与えてもらったのはわたしのほう



なのに あの人は
いつも ありがとう と言う










聴いてるだけ
見ているだけ


わたしのなかが
あったかくなったことを伝えただけ










それで よかった

それが よかったんですね











教えてくれて
どうもありがとう















こんな在り方が
いつ どこでも
出来たらいいなあ



と、ちょっと思うけれど



女神ではなく
生身なので笑

いつ どこでもは無理なのですが














愛することって



何かをせっせと
物理的に与えることや
施すことだけではきっとなくて







何もしないところから
何もしないからこそ、


愛をわたすこと




わたす、というほどの
ベクトルは存在しなくて


相手がひとりでに
愛を受けとってくれる



そんな愛もあるのだなあ



と感じました。










だいじなことを
教えてもらった尊い朝でした。










いつも読んでくださってありがとうございます。




愛と感謝を込めて⭐











余談。
こんなページを見つけました。


それでも、きょう見かけたのが
椿なのかまったく自信がないわたしでした。笑