今週のある平日、ひさしぶりに
長男とのんびりお風呂に入りました。
最近は一人でさっさと早めに入って、
寝るまで好きな制作したり、
読書したりテレビ観たり、と
なんだかお兄さん〜な
過ごし方になってきた長男(小2)。
一人で自分の部屋で寝起きして、
学校の準備、着替えの準備、
休みの日は
自分の分の洗濯物たたみ&片付けも
こなすようになってきました。
一人で寝るようになってからも、
夜中に泣きながらトイレに行くのが
常だったけど(本人覚えてないやつ笑)
最近はスムーズにトイレに行くか、
朝までほぼぐっすり
そんな日が大半になってきて、
成長を感じます。
それでもまだ時々、
夢遊病的に
1階まで降りてきたりとか
(こないだは23時にパジャマにランドセル背負ってた笑)
悪夢を見たのか
寝床で泣いてたりとか
そんな夜もあって、
人知れず意識の奥で
いろんなものと戦っていたり、
いろんなものを消化したり、
しているんだなあ。
と思うと、
もう赤ん坊のように
あやすことはしないけれど
わたしもぐっとこらえて見守り、
こころの底からがんばれー!と祈る日々です。
わたしが経験してきた
一見不幸なような
哀しい 辛い 腹の立つ出来事たちが
決していまのわたしにとって
マイナスではないどころか、
むしろそんな出来事たちが
嬉しい 楽しい出来事たちと同じように
わたしのだいじなしあわせの根っこを
形づくってくれている、支えてくれている。
そう思えるからこそ、
長男が行く先々で出会う
困難や葛藤を、信頼していたい。
長男本人が向きあうべき
さまざまな感情や経験を、
出来るだけわたしたち大人が
取りあげてしまうことのないように
わたしたち大人がしっかりと立っていたい。
そう思います。
そうそう。
その、お風呂でのんびり話した日。
長男が、
小学校でいのちの授業を受けてきた、と
学んだことを話してくれました。
千代紙に空けてある
針の先ほどの穴を見せてくれて、
卵子ってこんなに小さいらしいよ!
とか
お腹から出てきた誕生日を
みんなはお祝いしてるけど、
いのちの始まりって
ほんとは受精卵からなんだねえ!
とか。
授業をしてくれた助産師さんのことを
「母ちゃんが次男くんを産むときに
手伝ってくれたお仕事の人」
とも表現していました。
次男くんは
長男が小1の時に生まれたばかりで
長男もたくさん
お世話を手伝ってくれたり、
次男くんと遊んだりしてくれていて
次男くんの存在を通して
より身近に、
いのちの誕生や人間の成長について
たくさんのことを感じ、
考えているんだろうなあと想像します。
長男に
「次男くんが生まれてから今までの成長の中で、
一番心に残ってることは何?」
と訊いてみたら
次男くんが初めてハッキリ
「かあ、ちゃん」って言ったことかな。
あの、水族館で。
あのとき
母ちゃんがすごい嬉しそうだったし、
ボクも嬉しかったから。
と話してくれました。
この日↓のこと。
なんかねー。
長男の器の大きさを
すごくすごく、感じました。
最近は、
次男くんが長男に抱っこされに行ったり、
長男の膝に座って一緒に絵本やテレビを観たり
きゃあきゃあ言いながら
三人で一緒に遊んでる場面も多くって
そんな思い出もたくさんあるだろうに
次男くんが
「かあ、ちゃん」と言った日のことを
しっかりと覚えてくれていて
それを一緒に喜んでくれていて
なんて、やさしい
なんて、大きな器なんだろう
と、あったかくて
じんわり泣けました。
わたしがあまりに小さくて、
ぷんすかぴー!
と怒るときも
長男に対してが一番多いだろうに
そんなわたしを
わたし自身がゆるさずに居る場合じゃない!
ぐらいに、
長男をはじめ
子どもたちはあっけらかんと
今日もそこに居て
「かあちゃん、見てー」
「かあちゃん、聞いてー」
「ねえねえ、かあちゃん」
「おっぱー?」(これは約1名笑)
と。
日常の営みのなかに、
惜しみなく愛を注げる喜びが
たくさんたくさんあること
きょうもわたしは
ああ、そうだった。
と思い出させてもらっています。
長男とのささやかな会話から
あらためて長男として
生まれてきてくれた覚悟と、
そのやさしく大きな器を思いました。
勇気をもって
いちばん初めに生まれてきてくれて、
ほんとうにありがとう♡
読んでくださってありがとうございます⭐