しばらく見直してた、
というか
どう使って、
どんなくらしをしたいか?
に注目して
しばし眺めていた
じぶんの、
お金(お小遣い)の使い方。
大事にしたい軸が
かなり固まってきたので、
きのう、
半年ぶりぐらいかな?
定期的な寄付を
またスタートさせることにしました。
前回は、
日本国内の子育てにまつわる
様々な支援活動を着実に続けていらして、
先進的な取り組みや
実績を作りながらの、
実態に基づく政策提言をされている
フローレンスさんに。
活動を限定しない
法人全体の資金として、
毎月定額の寄付をしていました。
しかしながら
恥ずかしい話、
家計の見直しも然り、
わたしの浪費の見直しも然り。
同じ額での寄付を続けることに
無理が出てきたのです。
これ↑を認めるのは
(誰にも別に言ってない、言われてもないのだが)
かなり恥ずかしかった。
とてつもなく情けない気がした。
給料天引きのように、
毎月クレジットで引かれていく額は、
仕組みにしておけば続けられる。
と思っていたのに!
決して、
多額の寄付ではないのに!!
じわじわと、
わたしのお小遣いを直撃しました。
(それよりも、主に衝動買いによる浪費よ?笑)
だから、
一旦寄付を止めてみました。
そして
自分のなかに湧き起こる
さまざまな感情や思考や、
ほんとうは、
こう在りたい。
という願いなどを
衝動買いしながらも、笑
しっかりと眺めてみていました。
そうしたら、きのう、
やっぱり細く長く、
続けられる寄付をしたい。
と、心から思えまして。
そう思えるまで
じぶんのことを待ってみて、
とても良かったです。
無理して違和感を感じながら
続けられないはずのことをやるよりは、
わたし自身が
細く長く、継続できるかたちを探したい。
と思っていたから。
そして今回、
新たにスタートさせたのは
藤原ひろのぶさんが代表をされている、
バングラディシュの子どもたちに
食事を提供する活動への毎月定額支援。
それから
前回とは寄付の形式を変えて、
フローレンスさんの
ひとり親家庭への継続支援のほし組さんに。
それぞれ
1000円ずつですけれど、
また始めてみました。
平成天皇さんが
(いまは上皇さん?というのかな)
国内外の諸問題や
その地域に住む人々に対して
「心を寄せる」
という表現を
しばしば使っていらして、
わたしは
その表現がすごくいいなあ、と
ずっと思っていました。
(ちなみに天皇制については詳しくないし、
是非について議論するつもりもないです笑)
知る。
理解する。
想像する。
推察する。
とかではなく
心を寄せる。
なんだかわからない
じぶんとあちら側との境界線を引いた
対岸の火事を眺めるのではなくて、
心を寄せる。
って、すごく、
あったかい表現ですよね。
もちろん
実際の支援の最前線では、
心を寄せてるだけでは足りなかったり、
非現実的だったりするでしょうけれど
その最前線に立つことが
最大級に難しい立場である人が、
自身にできることを考え抜いた結果、
生まれてきた言葉が
「心を寄せる」
なのだろうな。と思ったのです。
わたしも今すぐ支援の現場に
駆けつけることは出来なくても、
世界が変わらないことや
世界じゅうに理不尽なことがあるのを
なんとなく知っていて、
何もなかったふりし続けていて、
それで、このままで、
いいのかな?
SNSでなんとなく眺めては
いいね!や超いいね!してるだけで、
何の行動にもつながらないなら
それこそ時間を浪費しているだけだなと。
もっと出来ること、
あるでしょうよ。と、
ほんとうは
とっくに心を寄せていて、
ほんの一歩だけでも
踏み出したいのだろう?と。
そう改めて思ったので、
きのうは寄付という行動に移しました。
特別何か、これ!という
きっかけがあった訳でもないのだけれど、
よくよく振り返ってみると、
長男と鬼滅の刃のモノローグの解釈について
話し合っていた時のことを思い出したのです。
(長男↓は連日細かい所まで読み込んでは、わからない所を
よく「これはどういう事?」と訊いてきます。)
上弦の陸の
妓夫太郎にトドメをさす間際、
堕姫(妓夫太郎の妹の鬼)が
「おにいちゃん!!!」
と叫んだ瞬間、
主人公の炭治郎は思うのです。
妓夫太郎と自分が、
いつ何時、
逆の立場になっていたとしても
おかしくなかっただろう。
と。
炭治郎は鬼に家族を殺され、
妹は生きていたけれど鬼にされ、
それでも
鬼殺隊になるまでの
出会いや導きの縁があった。
元々、両親に愛されながら
育ったこともしっかりと描かれています。
たまたま炭治郎は
そう生まれてきたけれど、
たとえば
境遇がちがったら?
果たしてそんな生き方に
たどり着いていただろうか?
煉獄さんのお母さんも
「強く生まれた人は、
弱い人を助ける生き方をしなさい」
という主旨のことを伝えていたり。
いま、
言葉や健康な心身や
時間やお金を持てる人は、
対岸の火事を黙って
ただ眺めるのではなく
持てる人としての、
生きざまがあるのではないかな。
心を寄せる。
の、その先へ。
一歩の行動へ、
つなげていきたい。
そう思いを新たにした、
きのうでした。