おはようございます。



  



車のエンジンを切って、


あたたかなひだまりのなかで 
ノートやblogを書ける、
しあわせな朝時間♡
    





もれなく
次男坊は後部座席で爆睡中。








最近朝寝が深くて、きのうは
放置したらいつまで寝るのかなあ??と実験してみたところ、

子育て支援センターの午前の部終了時刻になっても
微動だにせず寝てまして、結局何もしないまま帰宅。笑










 









きのうの
この記事↓を書いてから、 



ふと思ったこと。


  

 


 



わたしのなかに、 
ファッションの固定観念も  
まだまだあるんだなあ。

と気づいて








ファッションの理論や知識は
世にいろいろあるけれど、


それを自分に許可するマインドも、
やっぱり両方大事だ。    




ってこと。












以前のわたしは、
ピーコみたいでした。笑





(ピーコ氏は職業だし 
そういう役回りだからそれでいいんですけども)








道行く人のファッションが目に留まると、
 

 
(惜しい!)

(あのアイテムをこうすれば、もっといいのに)


 
と、
すごく批判的に、
上から目線に、思ってました。








でもそれは
その人の表現であって、





わたしの好みでないだけ。


 

または




わたしがわたし自身に、
そのコーデを許せていないだけ。




なんだよね。










批判してた数とおなじだけ、



わたしのなかには
固定観念が在ったのだな。


 










 

こんなコーデもあるなあ♩




と閃いたとしても、








それを自分に許可する
器やマインドが伴わなければ、


  



そのコーデは
永遠に表現されないままだから。









「知ってる」  と  「やる」


の違いは大きい。

    








そして

 
 「知ってる」  と  「わかる」
 

の違いはもっとずっと、大きい。



 
 








体験してこその知。





自分という生身の、
肉体や精神のフィルターを
通してこその、



「わかる」



は、
  


「知ってる」

 

よりも、   
きっと、ずっと優しいと思う。