すこしずつ、 
秋の気配を感じはじめて







温かいドリンクを飲んだり、
お味噌汁を作ったり。






また次の季節への準備を、
身体が自然と欲しているみたいです。







買い出しの帰りみち
花屋さんに寄ったら、





秋らしい
深い赤色の実が目に留まり、
思わず購入。










飾る部分を
切り分けながら、
ふと思ったこと。









こないだ
ザワザワしながら断ることをした。




この記事↓





この記事↓






わたしは
とってもザワザワしたけれど、






もっと軽やかに
断ることのできる人も
きっと、たくさんいるはずで。






どちらがいい、とかではなくて
そういう人もいる。





わたしは、
いまはそういう人ではない。





この違いについて、
考えていた。








そもそも
ザワザワするのは、





わたしのなかに


「断る=相手を哀しませる、がっかりさせる
(かもしれない)


という設定があるから。








それはつまり、


「断られる=哀しい、がっかりする」


という設定が
わたしのなかにまだまだあることと、
表裏一体なのだなー。







じゃあどうして、
断られる=哀しい、になるんだろう?



と考えていくと、
エピソード的な原因はさておいて、







断られるわたしは、価値がない
(かもしれない)


↑もうかなりうっすら、だけど
うっすらそう思ってるところがあるので薄いグレー。笑




そして




哀しい、を感じたくない
がっかりしたくない


つまり

哀しい/がっかり=“イヤな感情”

と認識してる






の、大きくふたつ。












じゃあ、
ここを書き換えればいいじゃないか。







このまえの記事に

“輪郭を知る―”

と書いたように、







断る
=自分の(好みやキャパの)輪郭を知らせること





断られ
=相手の(好みやキャパの)輪郭を知ること







こう書き換えてみれば、
どうだろう?







とてもフラットで
断られやすく、断りやすい。




ものすごい軽やかさになった。








こんなふうに、
書き換えていけばいいのだな♩







そんな設定を見つめたり
一覧して眺めたりする作業は、

やっぱり
ノートがあると便利なんだろね!

(今さらだけど、ノートの必要性が
ようやく最近腑に落ちてきている。
いままでそんな作業はblogで出来ると思っていた。
だけど、向き合う深さと気軽さと時間の濃さが、
やっぱり違うんだろうな、と感じる。

そして、いざ準備しても
中途半端にしか出来なかったら、、
とか思っていたけれど、それも違う。
ノートとペンがあれば、必要なぶんだけきっとやるだろう。)















そろそろ、
素敵なノートを探してみよう。








今度こそ素敵なのが
見つかるぞ♩