ちょっと、
いや、かなり 笑
ザワザワ~
ドキドキ~
することがありまして。
この記事↓で書いたように、
ほんとうの意味で
じぶんを生きるということは、
だれのせいにもできないということだ。
じぶんの手で
サイコロを転がし、
コマを進める。
そういうことだ。
とは、常々思ってるんです。
この意識で
ひとつひとつ選択して
日々を過ごしていくと、
被害者/加害者
にならないで居られる。
それはそれは、
心地がいい。
ぜんぶぜんぶ、
外側の出来事(事実や現象)は、
ただあるだけ。
で、それらを
受けとるか/受けとらないか
どう受けとるか は
ぜんぶぜんぶ、
じぶんで決められるんですよね。
普段は選ぶことがなくても、
あらゆる選択肢が存在する。
突飛な選択、
誰かから嫌われそうな選択。
決断を先送りするという選択。
あれこれあるけれど、
それらはタブーだ、って思いがちだけど、
そんな選択肢だって、
選んでしまっていいのです。
思いつくかぎりの選択肢のなかで
じぶんの心地よさを選択することは、
なにも悪いことではないのです。
でも、
やっぱり揺れるのだ。
わざわざblogに書かずには
居られないぐらいには、
まだまだ揺れるのだ。
そう。
わたしは、
父親をFacebookでブロックしました。
こう↑書くと
ムダにショッキングだけど、笑
きちんと理由を説明して、
正確には友だち申請を断りました。
父のことは、
大好きだし大事ですよ。
でも
気のおけない仲間たちとのやりとりを
見られるのはあまり心地よくないし、
わざわざFacebook上で
繋がりたいとは思っていない。
ただ、それだけ。
それ以上でも、
それ以下でもない。
だから、
Facebookデビューしたばかりの父の、
友だちリクエストを断りました。
そしてお互いが
その存在を気にしなくて良いように、
ブロックしました。
(↑これは説明がややこしいので、
わざわざ言ってませんが。)
ただ、それだけ。
って言ってますが、
ブロックする選択肢を思いついて、
まず、ザワザワ~。笑
いざ実行してみて、
やや、ザワザワ~。
でもわたしにとっては、
良い選択だったなあと思います。
それから、きょう。
母からの頼まれ事も、断りました。
正確には、
母の知人(わたしは面識がない)が
困っている事で、
―英語が少しでもわかる娘なら、
役に立てるかもしれない。
と、わたしの了承も得ず
母が先に頼まれ事を引き受けてきた様子。
そもそもが
母の困り事でもないから
やりたくないし、
いまはそこにエネルギーを使いたくない。
ていうか、
先に引き受けてくるなんて、
領域を侵犯してませんか?怒
と内心、
怒りモードになったけど、
断れば、いいじゃない。
そういう、
シンプルな答えにたどり着きました。
たぶん断られることは想定してない
と思うのですが、
そこは、知らん。笑
引き受けることができるわたしは、
断ることだってできるはずなのです。
そして、
それをとやかく言う存在が、
もしも居るとしたら。
それは、
わたし自身なんだよね。
めーっちゃザワザワしたけど、
ザワザワを感じながら、
かろやかに断りました。
ここで嫌々引き受けてしまったとして、
その後母に会うたび悶々とするのは、
よけい嫌だもん。
被害者にも、
加害者にも、
なりたくない。
そのために
きちんと線を引くこと。
主権はじぶんに在るんだ。
と覚えておくこと。
は、ほんとうに大事だと思った。
きのうの夕焼け空。
なにかはわからないけれど、
大きなものに抱きしめられ、
護られてるみたいだなあ。
と思いながら、
空をみあげていたら、
隣でおなじ空をみあげていた娘が、
水色の雲さん!
この街を、世界を護ってねー!
また来てねー!!!
と叫んでいた。
なにかがいまにも生まれそうな、
そんな空でした。
きのうの世界には、
なにがうまれたのかな。