お庭の向日葵が
ようやく咲きそう。











もうひとつ
咲きそうな蕾が
膨らんできています。










 



昨年長男が学校で育てて
夏のおわりに自宅で種を採った朝顔。






今年も花を咲かせてくれて、
まだまだ元気。



















 

ガレージだけの狭い庭。





わたしは野の草花や切り花はすきだけど
自宅で植物を育てることには全然興味がなく、







というか
正確には、


育てるとなったら
こだわってやりきりたい性格が
ムクムクと顔を出すのがわかってるので


そこにエネルギーをかけたくない今は、
興味がないことにしている。笑









そのかわり
母がいろいろとやってくれたり、
子どもたちと種を蒔いてくれたり。



わたしは両親が居ないあいだ、
プランターの水やりをするだけでも
非常に億劫なぐらい怠惰です。

(時々、アルバイトと称して長男を買収する始末。笑)










でも今朝、
洗濯物を干していて

向日葵さんがもうすぐ咲きそうなのを
すぐそばにみていたら、




なんだか無性に
お水をあげたくなりました。







じぶんから水をあげたくなったのは、
それこそ
うまれてはじめてかもしれない。笑










リフォーム工事中のいまは
2階のベランダを使わないようにしてるから
1階のウッドデッキに洗濯物を干していて、




おなじ自宅の
ほんの1階と2階の差なんだけど




植物たちを
すぐそばに感じるだけで


がぜん応援したくなるのは、
がぜん愛しくなってしまうのは、
なぜなんだろう。

















世の中の
さまざまな“問題”とされる事象も、
じつはそうなのかもしれないね。










よく知らないだけで、
敬遠される。




よく知らないだけで、
批判される。









知ってしまったら
目が覚めてしまうから



知ってしまったら
都合がわるくなってしまうから、





わるくもない誰かが悪者にされたり、
そもそもなかったことにされたりする。










たとえば

知ってしまったら
ほうっておけないもの。







知ってしまったら
うごかずにはいられないもの。













わが家の知ってしまったシリーズ。






オセロの勝ち方を知ってしまった娘。











ひとりブロックスの楽しみを知ってしまった長男。










ジャングルジムの達成感を知ってしまった次男坊。笑
支えなしでここまで到達し、
支えられていない状態↑。

あなたはもうすこし知らないで頂きたかった。笑笑